第69章 長距離後送 ― 空飛ぶ病院
夕刻、花蓮の即席滑走路は赤い夕陽に照らされ、負傷者を乗せた救急車両と装甲車がひっきりなしに到着していた。
前方外科で応急手術を受けた者もいれば、出血がようやく止まったばかりの者もいる。青木遼伍長は担架を抱え、仲間を並んで待機列に加えた。隣にはライベンスキー二等軍曹が歩いていた。
「ここから先は空の旅だ。見てろ、日本には無いものだ。」
彼が顎で指し示した先に、巨体のC-17グローブマスターIIIが滑走路に鎮座していた。カーゴベイのドアは大きく開き、内部は照明で白く輝いている。
だがその光景は貨物機ではなかった。担架が何段にも積み重ねられ、酸素供給ラインが壁を這い、人工呼吸器や輸血ポンプが並んでいる。そこは完全に「空飛ぶ病院」だった。
「CCATT(Critical Care Air Transport Team)だ。」
ライベンスキーが続ける。
「空軍の特別チーム。医師・看護師・呼吸療法士の三人一組で、重症患者を飛行中に管理できる。18時間のフライトでも維持可能だ。米本土まで直行しても耐えられる。」
青木は呆然と見つめた。
担架に乗せられた米兵が、モニターにつながれ、心拍数と血圧が即座にスクリーンに映し出される。フライトナースが輸血バッグを交換し、呼吸器を微調整する。
「こっちのラインは詰まってない、血流スムーズ」
「バイタル安定。搬入完了」
会話は淡々と、だが迅速に飛び交う。
その横で、自衛隊の搬送班が立ち往生していた。
青木の仲間を含む日本の負傷兵は「後送対象」と判断されたが、輸送機内に優先的に収容されるリストに名前はない。医官が米軍の担当者に必死に説明する。
「この隊員もショック状態です!輸血を受けなければ……!」
だが米軍側の答えは冷たかった。
「血液は限られている。我々の兵士で手一杯だ。日本側は自前の体制を確保してくれ。」
青木は唇を噛んだ。
自衛隊にはCCATTもなければ、長距離後送用の専用チームも存在しない。C-2輸送機はあっても、搭載できるのはせいぜい簡易ストレッチャーと酸素ボンベ程度。数時間の飛行で状態を維持できる患者にしか使えない。
長距離搬送で「空の中で治療を続ける」という発想自体が、自衛隊の制度には組み込まれていなかった。
「Aoki。」
ライベンスキーが振り返った。
「俺たちも完璧じゃない。だがアフガニスタンとイラクで学んだんだ。前線から手術室まで、手術室から飛行機まで、飛行機から本土のICUまで――途切れない“ライン”を作らなきゃ、兵士は死ぬ。」
青木は頷いた。
だがその目は担架の列から外され、別のトラックに乗せられる仲間を追っていた。彼は結局、装甲車で沖縄まで運ばれ、そこから商用機を改造した輸送で九州へ送られる予定だった。だがその過程で何時間も治療は止まり、助かる可能性は低い。
「俺たちには……その“ライン”が無い。」
青木は掠れ声で答えた。
ライベンスキーは数秒黙り、肩をすくめた。
「制度と装備は一朝一夕じゃ作れない。だが、君が次にできることは一つだけだ。止血帯を巻くとき、躊躇するな。それだけで、次のラインに乗れる命は増える。」
C-17のエンジンが吠え、巨体が滑走路を転がり始めた。
カーゴベイに収容された米兵たちは、機内のモニターに守られ、グアムへ、ハワイへ、そしてアメリカ本土へ向かう。
その光景を見送りながら、青木は自分の手に残る血の匂いを嗅いだ。
制度の差、装備の差、経験の差――すべてが仲間の命を奪い、自分の無力を突き付けてくる。
だが彼は、心のどこかで決意していた。
「次に俺が止血帯を巻くときは、迷わない。迷いが命を奪うなら、震える手でも構わない。」
ローター音が遠ざかり、夜の帳が滑走路に落ちる。
青木は重い足を引きずりながら野戦病院の方へと歩き出した。
そこにはまた新たな負傷者と、現実の残酷な対比が待っていることを知りながら。
 




