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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン7

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第63章 陸路の混乱



 米軍の小型艇は、夜明け前の日本海を切り裂くように進んだ。艦内の照明は落とされ、海面を叩く波音だけが耳に残る。艦長からは「山陰の小さな港に上陸させる。そこからは自力で」とだけ告げられていた。従軍記者として便宜を受けられるのはここまで。岸に立てば、日本国内の混乱を自らの足で越えていかねばならない。


 空が白み始める頃、島根の小さな港町の岸壁が近づいた。小型艇が接岸すると、米軍兵士が簡単な手振れで見送る。

 「ここからは危険だ。気をつけて」

 短い言葉に頷き、大友は岸に飛び降りた。背中の鞄にはノートと最低限の衣服、そして野間の手紙の束。


 港町は静まり返っていた。店のシャッターは下ろされ、路地に残るのは避難を終えた後のような人気のなさ。バス停に向かうと、既に十数人が列を作っていたが、時刻表は無意味だった。到着したバスは二時間遅れで、しかも途中の区間しか走らないという。車体の側面は煤け、運転手は疲弊した表情を隠そうともしない。


 「横浜まで? 無理ですよ、東京圏は寸断されてる」

 そう吐き捨てるように言いながらも、大友の背中の証明書を見て席を一つ空けてくれた。


 数時間かけて着いたのは鳥取駅前。駅舎には人が溢れ、構内放送が「東海道方面の運行は大幅に遅延」と繰り返していた。切符売り場は混乱の渦で、掲示板の表示は赤字の「運休」で埋まっていた。

 「せめて大阪までは」と駅員に頼むと、立ち席覚悟なら夜行の臨時便に乗れるという。


 列車を待つ間、大友は周囲の会話に耳を傾けた。

 「東京は……本当に……」

 言葉を最後まで結べずにうつむく老人。

 「親戚が霞ヶ関に勤めてて……」と嗚咽する若い女性。

 彼らの言葉の途切れ途切れの隙間に、野間の姿が重なる。机に向かい、資料を睨む眉間の皺。取材先で疲れても冗談を忘れなかった声。


 夜行列車は満員のまま闇を突き進んだ。明かりの消えた集落を横目に、大友は窓に額を寄せる。次第に車内は眠気とすすり泣きに包まれ、時間の感覚は失われていった。


 翌朝、大阪駅に降り立つと、人波はさらに濃く、アナウンスは絶望的に短かった。

 「新大阪から先、東へは不通。名古屋までは代替の高速バスが出ます」


 大友はタクシー乗り場に向かった。列は長く、運転手たちは疲労で荒れている。

 「ガソリンが足りねえ。横浜? 正気か」

 何人にも断られ、ようやく一人の初老の運転手が承諾した。

 「途中までだ。京都までなら」


 京都で降ろされると、今度はレンタカーを探す。駅前の店舗はどこも閉鎖か貸し出し中止。三軒目でようやく軽ワゴンを借りることができた。ガソリンは半分しか入っていないが、それでも動ける。

 「給油所はどこも行列だよ。運が良ければ名古屋まで届く」

 係員の忠告を背に、ハンドルを握った。


 高速道路は渋滞と検問で寸断されていた。時折、装甲車や自衛隊のトラックが追い越していく。被災地へ物資を運ぶためだろう。車列の中で停車を強いられるたび、大友は野間の死を告げる電文を思い返す。短い文章、冷たい印字。彼を知る者への配慮も余白もなかった。


 陽が傾く頃、名古屋の外れに辿り着いた。給油所は二十台以上の車が並び、待ち時間は二時間を超えるという。大友は諦め、残りの燃料を計算しながら一般道を東へと進んだ。


 窓の外に広がる街並みは、どこも不安に覆われていた。テレビの画面に釘付けになった食堂。紙の地図を広げて道を探す人々。交通の遅延と物資不足は、すでに広範囲に波及していた。

 それでも、大友は足を止めなかった。横浜には、まだ収容所の冷たい床に横たわる野間がいる。迎えに行くのは、自分しかいないのだ。


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