第25章 地下政府(アンダーグラウンド・ガバメント)
あれは、地響きではなかった。
空そのものが、爆ぜた音だった。
内閣危機管理局 調整官 沢渡結衣は、防災庁地下の第3中会議室で、次の避難民収容計画の打ち合わせ中だった。
通信はすでにまともに使えず、ホワイトボードに殴り書きされた避難対象区のリストを前に、数名の担当者が、眠気と疲労に沈んで資料を照らしていた。
それが、午前4時17分。
空気の圧が突然、狂った。
耳の奥がキンと痛み、机の上のペットボトルが、見えない指に弾かれたように倒れた。
「地震か……?」
誰かが呟いた刹那、轟音が天井を揺らし、コンクリ片が天井の継ぎ目からパラパラと降ってきた。
直後、停電。照明が落ち、赤い非常灯だけが室内を染める。
次の瞬間——会議室の扉が乱暴に開き、警備隊員が血走った目で叫んだ。
「霞ヶ関区域に直撃!――熱核です!」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
現実が、急にフィクションの皮をかぶったようだった。
霞ヶ関に核? この距離で、生きている? こんなふうに——?
けたたましい警報音。地上との通信は一斉に沈黙した。
無線は金属音まじりのノイズを返すばかりで、誰もが言葉を失っていた。
沢渡結衣は、自分のスマートフォンが何度も再起動を繰り返しているのに気づき、それがなぜか一番不気味に感じられた。
「EMPだ……電磁パルスが入ってる」
防衛省の技官が低く呟いた。回線は落ち、記録サーバーも沈黙したまま。
「……生き残ってるってことは、ここが即死圏の外、ってこと……?」
誰かがそう言ったが、誰も答えなかった。
地下4階の分厚いコンクリートと鋼鉄が、我々を「生かしたまま閉じ込める」役目を果たしていた。
だが同時に、外の様子は完全に遮断された。エレベーターは停止し、階段は封鎖され、通信は断たれた。
上へ向かった警備班の一人が、顔に煤と裂傷を負って戻ってきた。
そのまま膝をつき、言った。
「官邸本館は……火災です。吹き飛ばされました。……首相、内閣、確認不能」
室内に、沈黙が落ちた。
空気が、音ごと凍りついた。
結衣は、自分の手が小さく震えているのを見つめていた。
机に貼られた「段階6収容モデル」のメモを見ていたはずが、焦点が合わなかった。
紙の角が、誰かの呼吸に震えていた。
「……非常統治コードを……立ち上げるしかない」
自分でも驚くほど、自然に口をついて出た。
隣にいた旧・内閣官房副参事官が、血の気の失せた顔で私を見た。
「でも……誰がその権限を?」
答えられる者はいなかった。
非常統治コード、通称 LTS-3。
核攻撃により内閣機能が喪失した際、国民評議会と残存自治体の合意により、代行統治を発動できる法制度。
それを知っていたのは、結衣と、旧・再建室の数名だけだった。
だが今、官邸はなく、総務省も火災中。NHKも放送を停止していた。
「……放送局も?」
「少なくとも、首都圏の地上波は全滅」
誰かが倉庫に積まれていた備蓄端末に電源を入れ、衛星通信モードに切り替えた。
初期化に数分かかったが、やがて唯一の信号が表示された。
《YAMATO-CIC:生存信号・復旧要請》
「……まだ、戦ってるのか」
誰かが呟き、私は目を伏せた。
“それ”が防衛の最終ラインであることは、皆が知っていた。
あの艦が、最後の壁であることを。
だが、それは同時に、我々が“地上から見捨てられた存在”であることの証でもあった。
「じゃあ、私たちは……どうすれば……」
震える声が漏れたそのとき——結衣は口を開いていた。
「今、ここにいる全員が……政府です」
結衣の声が、やけに遠く聞こえた。
だが、誰も否定しなかった。
その言葉の重みだけが、会議室の空気をさらに重くした。




