第2章 カウントダウン 潜水艦発射
■ 発射30分前(T–30:00)
日本海北部、海底深度180メートル。中国海軍の094A型戦略原子力潜水艦「長征18号」は、その巨体を水塊に溶け込ませていた。艦内の時計が冷たく、03時30分を指す。
「深度180、速力2ノット、音響的には水塊に溶け込んでいます。外乱なし」
CICオペレーターが囁くように報告する。艦内はすでに「放射静粛令(Emission Control)」下。電波、音、振動すべてを抑え込んだ沈黙の塊が、海底の水圧に押しつぶされるように潜んでいた。
指揮官席では、艦長・陳少将がスチールグレーの戦術マップを凝視している。赤で示された「発射予定領域」には、7発のJL-3型弾道ミサイルのフライトパスが精密に重ねられていた。
「戦略司令部からのコード再確認:認証コード Bravo-Seven-Echo、発射承認一致」
副長が鍵付きの暗号文書筒を開封し、静かに読み上げる。デュアルキー方式の起動認証は、すでに完了していた。
T–25分。
「主ミサイル隔壁、加圧完了。艦体構造、変形許容範囲内」
機関科の士官が報告する。ミサイルハッチ周囲の耐圧隔壁は、大気圧よりも高く保たれている。発射時、海水が逆流しないよう、特殊なガス圧力がミサイルを艦体内部から“押し出す”のだ。
T–20分。
「バラスト調整開始。発射深度に移行」
艦はわずかに上昇を開始する。照準誤差を最小にするため、ミサイルは特定の深度(概ね40〜50メートル)から発射される。180メートルからの浮上は、爆音を伴わない“スロー・ライズ”モードだ。
「魚雷検知なし、ソナー範囲内に敵性アクティブ信号なし」
ソナー員が報告する。日本の「そうりゅう」型、韓国の「張保皐」級、米海軍の「バージニア」級をすべてリストアップし、静的な背景音との差分を解析している。
T–15分。
「目標群データ最終補正」
航法士官がミサイル慣性航法装置(INS)に最新の星図修正データを入力。GPSは使用できないため、天測と慣性航法が唯一の手段となる。艦の姿勢はピッチ角0.5度、ロール0.2度に安定していた。
T–10分。
「発射区画、与圧解除準備」
「全員、耳栓・衝撃対応姿勢!」
格納庫の気圧を急激に下げ、ミサイルハッチを開ける。同時に、ミサイル管内部の加圧チャンバーには、高圧ガスが満たされていく。外部からは想像もできない激しい準備が、静かに進行していた。
T–5分。
艦内の非常灯が点灯する。赤い薄明かりの中、乗員たちは無言のまま、各自の持ち場で操作盤に指を置く。
「ミサイルブーストシステム、点火準備完了」
「目標7地点座標、再確認済み」




