第132章 「砂の灯り」
第9章
午前2時03分
中野・鍋横交差点付近
スマホの画面が、夜の闇の中で青白く浮かんでいた。その中で、真柴圭介のライブ配信は10万人以上に視聴されていた。
「……都庁から“退避推奨”通知が出たのは事実です。けど、明確な避難指示じゃない。“お上”は最後まで言わないんだよ。だったら――俺たちが動くしかないだろ。#首都脱出ルート、更新します!」
地図アプリと連動させた独自の避難ルートMAPは、彼と仲間たちが24時間かけて更新していた。徒歩/自転車/バイク別。給水ポイント、炊き出し場所、開いているコンビニ、空き民泊施設――**「国家が示さない命の回廊」**を、彼らは手作業で塗りつぶしていた。
だがその画面に、突如コメントが乱れる。
「西武新宿線の下井草駅、改札で殺傷事件」
「調布で水と食料奪い合い→老人怪我」
「世田谷区で空き家強奪、映像あり」
「“避難所”って言って開けた学校、誰もいない」
「警察、来ない」
圭介は一瞬、口をつぐんだ。彼は**“希望の地図”を描いていたつもりが、現実は黒く塗り潰し始めていた**。
「……なら、見せてやろうじゃねぇか。誰がこの国を生き抜いてんのかって。――こっちだって生放送で“証言”するぞ」
カメラは切り替えられた。照明の落ちた環七を、徒歩で逃げる人々の群れが映し出される。リュックを背負った高校生。乳児を抱えた母親。泥酔して道に倒れた老人。後方からは不明な爆発音。視界の果てには赤い火の手――
「これが、国家の“避難計画”だよ」
【時刻:午前2時20分 中野区・空き地】
そこに現れたのは、竹沢千早。元NPO系団体職員で、震災時の医療支援ボランティアを経験していた。
「圭介、ルートBの炊き出し場、襲撃されて閉鎖。非常用水も奪われた。医療班は西荻へ移動してる。……もう、自治が限界」
「なら、全部晒せ。動画で」「それが正義?」
「違う。“次に狙われる場所”を先に警告するためだ。」
ふたりは口論になりながらも、機材の電源を入れる。ドローンを上空に飛ばし、**“赤外線で人の密集エリアと火災エリア”**を可視化していく。
千早はタブレットに手書きで記す。
「ここに子どもが10人以上。あと、発熱者の避難も……」
「救急はもう来ない。バイクで運ぶしかないか……」
圭介がつぶやいた。
「おれたち、何なんだろうな。国家でも、医者でもないのに」
千早は答えなかった。代わりに、赤く腫れた自分の手のひらを見つめていた。人を背負い、救い、時に殴り返した手だ。
“この手で、東京という都市の“死体”を運んでいる気がする”。
午前2時44分
SNSライブ配信
「避難ルート更新。“環八ルート南行き”は放火で通行不可能」
「小田急線、成城学園前駅付近で集団暴行。映像あり」
「北多摩エリア、陸橋下で自転車修理ボランティア稼働中」
「最新データ、ハッシュタグ:#避難ルート信頼度★★以上で再編集中」
「明朝5時までには、次の“生きた回廊”を提示する予定です」
圭介と千早は、スマホとノートPCを前に、無言でキーボードを叩き続けた。
都心の夜が完全に沈黙し、国家が言葉を持たない闇の中、彼らは言葉の代わりに地図と灯を置き続けた。
――それが、都市の崩壊を照らす最後の“砂の灯り”になると、どこかで気づきながら。




