第128章 生命線の裁き
【時刻:午前0時12分 東京都新宿区・東京女子医科大学病院 地下1階 ER(救命救急センター)】
機材の冷却ファンが唸る音だけが、制御室に鳴り響いていた。ストレッチャーは満床。点滴ラインは床を這い、酸素ボンベは2時間前に尽きた。自家発電に切り替わった院内は、照明の半分が落ち、まるで野戦病院のようだった。
「――次、到着5分後。多摩から搬送要請、気道確保済み、60代男性。間質性肺炎既往あり」
「人工呼吸器、もうありません」
「――じゃあ入れ替え。症状安定してる30番の方、外してマスク対応に」
「……それで命、持ちます?」
「**“持つ可能性のあるほう”**に賭けるしかないでしょう!」
【午前0時16分 医師ブリーフィング室】
指揮を執るのは、救急科の主任医師・水谷。ICU担当医・臨床工学技師・看護師長らが周囲を囲む。
「リスト整理します。優先順位A群は**“回復の可能性あり/年齢65歳未満/既往疾患軽度”。B群は“回復可能性中〜低/75歳以上/がん・心疾患・COPD等既往”**。C群は……蘇生試みず、緩和対応のみで」
張り詰めた空気。だが、誰も反論はしない。
――その場にいる誰もが、**「国家が決断すべき命の重さ」**を、今、自分たちが背負っていることを理解していた。
【午前0時21分 ERカウンター前】
「先生!うちの母、さっきまで喋ってたんです!人工呼吸器、お願いできますか!あの人より若いです!まだ60で――!」
「申し訳ありません、今は……」
「ふざけるな!あんたら、誰の命を救って、誰の命を見捨てるって、勝手に決めてるんだよ!」
佐久間は言葉を飲んだ。何度も経験した「希望の否定」――だが今回は違った。その叫びが、あまりに正しく、あまりに無力だったからだ。
【午前0時26分 裏口にて】
搬送不能とされた患者は、自家用車で次々に運び込まれていた。母の手を握る娘、土砂降りの中、雨を吸った毛布にくるまれて。その表情に、**“自分の命を諦めていた者”**の静けさがあった。
医療従事者の眼差しは、次第に崩れていく。
「……これが、最後の選別かもしれない。このあと、本当に核が落ちたら、酸素も血も、すべて意味を失う。でも、今だけは、**“人間であること”**を捨てたくない」
【午前0時32分 スタッフ休憩室】
佐久間は、壁に貼られたホワイトボードを見つめていた。そこには、**“見送った人の名前”**が、消えかけのペンで静かに並んでいた。
田中涼子(43)・高瀬誠(76)・阿部志乃(51)……
名もなき市民たちの名が、まるで供養碑のように列をなしていた。
そして、その下には、誰かが書き加えた走り書き。
「見捨てたんじゃない。見送ったんだ。」
「それでも――私たちは、命を繋ぐ仕事だ。」
佐久間は深く目を閉じ、再びフルフェイスのマスクをかぶり、現場へ戻った。
誰も見ていなくても、どこかの都市が崩壊しても、この病院の地下では、“人間であり続けようとする戦い”が続いていた。




