第119章 ジェイコブ・F・ローウェル中尉の叔父の記憶(追体験)
イラク戦争2003
マルサ・ウルの夜明け(史実)
2003年3月20日未明、サウジアラビアのアラーフ基地。 ジェイコブ・F・ローウェル中尉の頭蓋内には、叔父レイモンド・ローウェル中佐の記憶が鮮明に浮かび上がっていた。
砂漠の水平線の彼方、バスラの石油精製所が、巡航ミサイルの初撃で炎上していた。真っ黒な煙が立ち昇る中、若い兵士が呟く。
「フセイン政権、ついに空爆開始だとよ……」
「違う、これは政権崩壊じゃない。探し物だ。」
レイモンドは静かに作戦ブリーフィングを折りたたんだ。
「WMD、大量破壊兵器――その“存在”こそが、我々の正義だったはずだ。」
だが、その正義の名のもとに始まった戦争は、地獄の始まりに過ぎなかった。
砂嵐の雷鳴(サンダーラン作戦)
2003年4月3日。 バグダッド突入作戦《サンダーラン(Thunder Run)》が発動された。 米第3歩兵師団第2旅団戦闘団は、ユーフラテス川を越えて首都中枢に迫る。レイモンドの率いる小隊は、渡河地点の制圧任務に就いていた。
戦闘車両M2A2ブラッドレーの内部で、警報が鳴り続ける。無線はEMP干渉で断続的、ナビは砂嵐で狂い、電子機器は誤作動の連続だった。
「これは作戦じゃない。火星に降りた気分だ。」
だが、彼らはそこで、予期しない敵影と遭遇する。 「10時方向、T-72だ!複数接近!」
現れたのは、ファダン戦車大隊――記録上存在しない、イラク正規軍の残存部隊。 砂塵に紛れたT-72M1改良型が連携展開し、800mの距離から異様に精度の高い砲撃を放つ。1発がブラッドレーの車体前方に着弾。副隊長のSFCグリーンが爆風に巻き込まれて吹き飛んだ。
「RPGだ、遮蔽物へ!」
泥と煙のなかで、米軍兵士が次々と傷ついていく。M1A2エイブラムスが被弾し、車体後部から炎が上がった。**精密砲撃と冷静な移動指揮。**通常のイラク軍とは異なる動きだった。
「ATGM装填、レディ!」
レイモンドはTOW-2を発射。1両は撃破するも、残る車両は機動防御を行い反撃。小隊は壊滅寸前に追い込まれたが、その時――
「ここホッグ31、目標座標確認。バルカン照準セット」
上空からA-10CサンダーボルトIIが到達。GAU-8アヴェンジャーの曳光弾がT-72部隊を切り裂き、爆炎が戦場を包み込んだ。 戦闘はわずか30分で終わった。
米軍:2名戦死、1名重傷。T-72:全車撃破。 鹵獲された敵戦車からは、ロシア語の整備記録と2002年製の照準機器、そしてオマーン空軍(RAFO)のロゴが押された部品が発見された。 「これは……旧ソ連製じゃない。誰がこんなものを、奴らに売った?」
フセイン像の崩落と“空白の正義”
2003年4月9日、バグダッド中心部。 ジェイコブの記憶の中で、叔父が見ていた光景が再生される。 サダム・フセインの銅像がロープで引き倒され、歓声と共に地面に叩きつけられる。 CNNが映し出す「民主化の勝利」。だが、戦場から戻った兵士たちは、ただ静かに佇んでいた。
「……民主化って、こんなに静かで、空虚なのか」 だが、それは序章に過ぎなかった。 翌月以降、武装勢力が蜂起し始めた。IED、スンニ派民兵、アル=カーイダ系過激派。街は戦場と化し、同盟軍は泥沼の市街戦へと引き込まれていく。
――そして2005年、国防総省は公式に発表する。 「WMDは、発見されなかった。」 ジェイコブの中で、叔父の声が反響する。 「正義を探して戦場に立つやつは、帰る頃には正義そのものを信じなくなってる。……それがイラクだった。」
歴史改変:査察継続と“銀の牙”
だが、記憶の波はそこで終わらなかった。 ジェイコブがΩ干渉室にて追体験した“もう一つの記憶”―― そこでは開戦前夜、国連安保理での激論が結果を変えていた。
「アメリカが単独攻撃を行えば、我々は査察団を撤収し、安保理からの決議撤回を検討する」 ロシア、中国、ドイツ、フランスの反対により、米国は単独開戦を延期。その1ヶ月、UNMOVICとIAEAによる緊急査察体制が発動された。
4月10日、査察団はトゥーラ地区の地下施設で、VX神経剤の痕跡と封印された高濃縮ウラン容器を発見。だが、それは90年代のものだった。
――その時、歴史の軸が、再び揺れた。 4月12日、アメリカ特殊部隊がイラン国境で拿捕したロジスティック輸送車両に、稼働状態の放射性物質とソ連製核制御基板を発見。 米大統領は即応命令を下す。 作戦名
対象:バグダッド北部、生物化学兵器格納施設
手段:B61戦術核爆弾、地下深度50m起爆 4月15日、限定的核攻撃が実行された。 放射性漏洩は最小限。
標的は完全に消滅。フセイン政権は48時間後、正式に降伏。 国際社会は分裂する。
支持:米英、イスラエル、ポーランド。反発:独仏露、国連。 だが、この“歴史改変世界”では―― ・イラク軍の解体は行われず ・ISは誕生せず ・内戦も起きなかった
記憶の境界
ジェイコブは艦内Ωセッションを終えた。
二つの記憶が、脳内の時間軸で同時に共鳴していた。
「叔父の世界では、正義が虚構として崩れた。この改変された記憶では、正義は核の閃光で貫かれた。」 どちらが「まし」だったのか。それはもう、誰にもわからない。 ただ、彼の中には確かに**“二重のイラク戦争”が存在していた。
一方は、空虚な正義に基づいた侵攻と混沌。
もう一方は、限定的核使用による速やかな終結と代償の分断。 観測者としてのジェイコブの思考が、時空そのものに干渉し始めていた。
「記憶を観測することで、歴史は書き換えられる。Ω理論が示す真実が、今、俺の中に根を下ろし始めている――」




