第112章 黙して語らざる選択肢
内閣官房地下第4会議室。特別機密指定、監視遮断。
この部屋の存在を知る者は、政府内でごくわずか。
国家の根幹を揺るがす議論は、常にこの地下で人知れず始まる。
内閣官房副長官補(安保担当)が口を開く。
「本件は、もはや法や原則の議論ではない。国家として生き残るために、何をどこまで許容するか、その現実判断だ。……今日は、“あれ”を俎上に載せる。」
重苦しい沈黙が支配する。誰も「核」という言葉を最初に発することをためらった。
内閣情報官(元防衛審議官)が冷徹に告げる。
「敵は、12時間以内に東京を壊滅させる飽和攻撃に踏み切るとみられる。火星13Cはすでに14基が起動済みだ。“撃たれたら終わり”の世界が、目前に迫っている。」
防衛政策局長(陸自出身)が言葉を継いだ。
「現在のBMD(弾道ミサイル防衛)体制では、迎撃は6〜7割が限界だ。PAC-3 MSEを三重に配備しても、無力化できない弾頭の存在は排除できない。」
官邸首席秘書官(民間出身)が眉間に皺を寄せた。
「非核三原則を破るだけではない。これは、戦後日本の最終改憲に等しい。あの艦に積まれたものは、全て日本国としては違法の存在だ。……だが。」
副長官補がその言葉を引き取る。
「……だが、攻撃されるとわかっていて、ただ見ているだけの国家は存在しない。大和の“それ”が、先んじて全てを打ち込めば、北は数秒で報復能力を失う。それが実行可能か否かを、今夜ここで詰める。」
緊張を破ったのは、長机の端に座る一人の制服。
**海将補の大和作戦統括官が静かに語り始めた。
「我が艦に搭載された兵器の一部は、米艦レーガンからの技術移転を含む。詳細は伏せるが、仮に核兵器が6発搭載されていると仮定しよう。地上目標用が2、地下指揮施設貫通用が2、残る2つは自己破壊型の特殊運搬モード。いずれにせよ、先に撃てば、撃たれない可能性は論理上存在する。」
防衛政策局長が厳しい表情で応じる。
「それは、“disarming first strike”——相手の核能力を完全に無力化する先制打撃だ。だが、そのためには三つの条件を満たす必要がある。
第一に全目標の位置を把握していること。
第二に貫通力と同時着弾能力があること。
そして第三に、相手のNC3(核指揮統制)を同時に破砕すること。
現実には……三つ目が最も難しい。」
内閣情報官が不吉な情報を付け加える。
「火星13Cは、現在、指令権限の“自動移譲”状態に入った可能性がある。つまり、中央の発射命令が消えた瞬間、各部隊のローカル判断で発射される。」
首席秘書官は顔をしかめる。
「我々が先に撃てば、むしろ“今すぐ撃て”のスイッチを押すことになる。先制攻撃は抑止ではない。相手に報復を強いる「強制(compellence)」であり、自ら導火線に火をつける行為だ。」
副長官補は苦悩を滲ませた。
「だが、我々には時間がない。“撃たれても残る国家”を設計するには、迎撃、分散、受動防護……全てに数ヶ月を要する。今夜の危機を乗り越えるには*“撃たせないか、全てを失った後に国を維持するか”の二択しかない。」
大和統括官は重々しく告げる。
「大和は、必要とあらば……最大20発の弾頭を、即時発射可能な状態に移行できる。しかし。」
防衛政策局長が呻くように言った。
「高高度起爆ではなく、地上着弾で一発でも撃てば、NPT体制は崩壊し、中国、ロシアは即座に警戒態勢に入る。日米同盟の正当性すら問われるだろう。……だが、一発も撃たずに東京が壊滅すれば、政権も国家も同じく消滅する。」
誰も言葉を発しなくなった。ただ時間が過ぎていく。
内閣情報官が静かに結論を述べる。
「先制核を論じる以上、“撃てば助かる”という期待値がなければ意味がない。しかし、今の情報で断定できるのは、“撃てば、確実に撃たれる”ということだけです。」
官房副長官補が最終的な方針を打ち出す。
「では、こう結論づけよう。本会議では、“大和の核オプション”を封印解除候補として正式に協議にかける。ただし、先制ではなく報復用途のみに限定する。“撃たれた場合、撃ち返す手段はある”というカードを、抑止の材料として見せるのだ。」
国家は、最後の選択肢として、「撃たずに止める」可能性を探り始めた。




