第110章 避難か待避か
東京都庁・防災危機管理センター
会議室の壁一面のスクリーンに、内閣官房危機管理センターからの速報が赤字で点滅していた。
【北朝鮮:弾道ミサイル飽和攻撃計画を探知。着弾目標=東京首都圏域。発射予測時刻:12時間以内】
室内の空気は一瞬で凍りついた。百条委員会さながらの配置で、正面には都知事、副知事、防災危機管理監。両脇に消防庁、警視庁、都市整備局、交通局、福祉保健局の局長らが座っている。
都知事
「……これは“想定外”では済まされない。都として取るべき方針を、今ここで決める必要がある」
声は震えていたが、努めて冷静に響かせていた。
危機管理監
「まず課題を整理します。都民一千四百万をどこに避難させるのか。交通機関を止めるか、動かすか。医療体制の維持。移動の混乱で死者が出ることを、いかに最小化するか」
警視庁幹部
「率直に申し上げます。都内でシェルターとして機能する施設は地下鉄駅と一部の地下街だけです。深度10〜20mの地下鉄は、直撃以外なら一定の防護効果がある。ただし、収容力は数十万人規模にすぎません」
都交通局長
「ならば、地下鉄の終電延長・全線開放を。ただ、群衆が殺到し、パニック死が出ます」
消防庁長官
「地上に留めるべきだ、という意見もあります。避難誘導で外に人を集めれば、むしろ被害を拡大する。実際には“どこにいようが助からない”区域が出る。だからこそ、動かすなと」
保健局長
「しかし医療機関の準備が整っていません。安易に“待機”を呼びかければ、被曝後に対応できる病院が麻痺します。そもそも東京全域への飽和攻撃となれば、都内の救急搬送網は壊滅します」
副知事
「つまり、避難させても助からない。動かさなくても、助からない。なら、どちらを優先するか……」
沈黙が落ちた。
危機管理監
「国は“避難指示”を求めてきています。だが、実際に一千万人を12時間で動かす術はない。むしろ道路が完全に麻痺し、ミサイルが到達する前に都市機能が壊死します」
警視庁幹部
「秩序を保つしかない。警察は、駅・地下街・公的施設を“緊急退避区画”として封鎖的に開放し、収容できる人数だけ誘導する。あとは……残る市民に対し、“屋内退避”を呼びかけるしかない」
都知事
「屋内退避……? 木造住宅も、ビルの上層階も、爆風に晒されれば紙のように吹き飛ぶ」
消防庁長官
「それでも“動かすよりはマシ”です。12時間でできるのは、一部の避難所開設と、社会の秩序維持だけ。奇跡を期待してはいけない」
保健局長(声を荒げて)
「それでは“見殺し”だ! 戦後最大の殺戮を、座して待つのか!?」
副知事
「違う。“全員を救う”と叫ぶのは簡単だ。だが現実は、限られた場所に限られた人数しか守れない。選ぶんです。都市防災の指導者として」
都知事は黙ったまま机を見つめていた。手元の書類には、首相官邸からの通達が赤字で記されている。
【国民保護計画に基づき、都は“避難勧告”を12時間以内に発令せよ】
——しかし、12時間でどこへ?
都庁会議室は、誰も答えを出せずに時間だけが過ぎていった。唯一決まったのは、「混乱回避のため公式発表を遅らせる」という判断だった。
都知事(心中)
「この都市を守る術はない。だが、沈黙を選べば“混乱で死ぬ者”は減る。声を上げれば“暴動と逃走で死ぬ者”が増える。」