第65章 南條忠義の記憶の中で「追体験」
(これは夢ではない。記憶だ。…そして、それは私の兄の記憶だ)
1970年ソ連バイコヌール基地
雪の降る草原を、風が切り裂くように吹き抜けていた。南條忠義は、自らの肌にソ連の冬の感触を覚えながら、確信した。これは兄の記憶だ。
自分が見ているのは、1973年、ソビエト連邦──バイコヌール宇宙基地。世界最大のロケット打ち上げ施設。だが、その場にあったのは、夢の匂いではなく、焦燥と停滞の空気だった。
「打ち上げは……延期です」
基地の研究員が、薄いロシア訛りの英語で答えた。兄──特派員としてモスクワに駐在していた瀬戸洋一は、録音機を止め、凍えた手で手帳にメモを取る。「延期、理由は?」
「……資材配分の優先順位。上からの決定です」
短い回答に、研究員の視線は明らかに濁っていた。遠くに見えるロケットの機体。垂直に立ち上がったそれは、雪に埋もれた発射台の上で静止している。巨大な構造体が空を指すその姿には、もはやかつての栄光はなかった。
「もう10年経つ」別の職員が小さく呟いた。「あの時、アメリカが月に人を送った時、我々はこう言った。『我々も、もうすぐだ』と。だが……あれから、何も変わらない」
歴史の変容
史実では、アメリカとソ連は宇宙開発で激しく競い合っていた。1957年、ソ連は世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、1961年にはガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功した。その一方でアメリカもNASAを創設し、1969年にはアポロ11号が人類初の月面着陸を果たす。
その競争の背景には、ロケット=ICBM(大陸間弾道ミサイル)技術の軍事的意味があった。
──しかし、この世界ではそのロジックが崩れていた。
南條は兄の意識を通じて、背景に横たわる真実を理解する。ロケットは本来、弾道ミサイルとして開発された。人工衛星も、有人飛行も、その副産物だ。だが、迎撃システムの出現により、「ICBMの戦略的意義」はほぼ消滅した。撃っても落とされる。先制攻撃は成立しない。となれば、ロケットもまた、国家の軍事戦略から外されていく。
「有人飛行は意味を失った」科学者の一人が呟いた。「宇宙は軍の予算に支えられていた。だが、迎撃で無力化された今、それは“遊び”に過ぎないと、党の幹部は言う」
「科学の象徴ではないのか?」兄が返すと、研究者は寂しげに笑った。「かつては、そうだった。だが今は“監視されるだけの空”だ。アメリカと日本の早期警戒衛星に、我々の発射台は丸裸だよ」
バイコヌールの格納庫には、半完成の宇宙船が眠っていた。窓は曇り、船体は埃をかぶっていた。人類の星への野望は、この鉄と埃の塊と共に、静かに朽ちようとしていた。
その夜、兄は宿舎で原稿を打ち込みながら、手を止めた。雪の中で見たロケットの姿が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。あの塔のような機体は、空を目指して立っていた。だが、実際には一歩も前に進めない。
「夢は、宇宙にではなく、地上の論理に殺された」
その記憶の中で、南條は目を覚ました。戦艦《大和》のレーダーが、彼のすぐ頭上で低く唸っていた。