第55章 海自1等海尉 瀬戸拓真の祖父の記憶
瀬戸隆一、冷戦時代の記憶
祖父の記憶は、奇妙な好景気の記憶から、さらに異質な時代へと変貌していく。それは、史実でいう冷戦時代、だがその様相は全く異なっていた。
ソ連もまた、核兵器を保有していた。1950年代、彼らは大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発し、アメリカ本土を射程に収めた。しかし、祖父の記憶では、そこに「恐怖の均衡」は存在しなかった。
「ソ連は、核の先制攻撃が成立しないことを知っている」
史実における冷戦は、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction、略してMAD)という不安定な論理の上に成り立っていた。それは、米ソ双方が、相手の先制攻撃を受けても、その後に報復することで、相手国を完全に破壊できる能力を持つという考え方だ。核による攻撃をすれば、自分もまた核で滅ぼされる。この確信が、かえって核戦争を抑止していた。しかし、祖父の記憶にある冷戦は、このロジックが通用しないものだった。
それは、日米が獲得した圧倒的な迎撃能力によるものだった。太平洋戦争時に日本に流れ込んだ未来の技術は、対空迎撃ミサイルとレーダー技術を驚異的な速度で進化させていた。1960年代には、日米共同で開発された迎撃システムが完成した。それは、完璧な迎撃率を誇るものではなかった。しかし、ソ連の「飽和攻撃」を無力化するには十分な性能を備えていた。
祖父は、その迎撃システムの中枢である「弾道ミサイル迎撃艦」の模型を、特ダネとして取材したことがある。その艦には、ミサイル発射台だけでなく、巨大なドーム状のレーダーが搭載されていた。それは、ソ連のICBMが発射された瞬間、その弾頭に搭載された囮を瞬時に見破り、本物の弾頭だけを追尾する能力を持っていた。
「これがあれば、ソ連が何発撃ってきても怖くない。全部空中で鉄くずになる」
取材に応じた米軍関係者が、誇らしげに語った。それは、核の報復を可能にするという史実の冷戦理論とは全く異なる、「核を無力化する」という理論だった。核の脅威がなくなったことで、ソ連は軍事的な圧力をかける手段を失い、国際社会における影響力は低下していった。軍事費の拡大競争も、ソ連にとっては無意味なものとなっていった。
「戦争は、勝つか負けるかだけじゃない。戦う前から、どちらかが無力化されていることがある」
祖父は、そう呟いたのを最後に、彼の冷戦時代の記憶は途切れた。
現代:2027年 那覇港臨時補給基地・戦艦《大和》艦上
「……それが、祖父の見た冷戦です」
瀬戸は、艦橋から水平線を見つめながら言った。
「その技術は、今もこの艦に生きている」
南條大尉は、戦艦《大和》の甲板に設置された、巨大なフェーズドアレイレーダーに目を向けた。それは、祖父の記憶にあった迎撃艦のレーダーの、さらに進化した姿だった。
分岐したパラレルワールドでは、核による相互抑止がないなかで、世界の力関係はどのよう史実と乖離していったのであろうか




