第49章 ファング”・コールマンの記憶の中で
それは、歴史の記録にはない、歪んだ記憶の断片だった。朝鮮戦争、1950年の夏。だが、そこに展開されていたのは、祖父の語る史実とは異なる分岐した世界の戦場だった。
敵のT-34中戦車が、漢江を渡りきっていた。その無骨な車体は、ソ連製の戦車として、朝鮮人民軍の戦力の柱だった。通常であれば、これに対峙するのはM24チャーフィー軽戦車やM4A3E8イージーエイトといった第二次世界大戦期の米軍戦車だろう。しかし、祖父の記憶の中では、全く異なる漆黒の巨体が鎮座していた。
「照準合わせ、TOW準備!」
それはM48パットンだった。史実では朝鮮戦争に間に合わなかった、分厚い鋳造の車体と巨大な砲塔を持つ戦車だ。祖父は、その戦車がM24チャーフィーとは比べ物にならない防御力を持っていることを直感的に理解していた。そして、砲塔の天蓋には、奇妙な箱状の照準器が取り付けられていた。
「発射!」
戦車の砲塔上、赤外線照準器を覗く兵士が冷静に誘導線を伸ばす。射手の言葉と同時に、対戦車ミサイル(TOW)が音もなく飛び出した。それは、当時の米軍が歩兵の対戦車戦で使用していたM20スーパー・バズーカやM9ロケットランチャーとは全く異なる、ベトナム戦争時代の誘導可能な新型兵器だった。ミサイルは正確にT-34の前部装甲に直撃。厚い鋼鉄が砕け、爆炎が内部を舐め、無残な残骸へと変えた。祖父は、その一撃の威力に言葉を失った。
市街地では、M113 APCから兵士が次々と展開していた。M113装甲兵員輸送車もまた、この時代には存在しない、アルミ合金製の軽量な装甲車だ。史実の朝鮮戦争では、歩兵は主にトラックやジープで移動していた。しかし、このM113は、兵士を敵の小火器から守りながら、高い機動性で市街地を疾走していた。
その中には、M60を構える分隊支援兵もいた。朝鮮戦争当時の米軍分隊が装備していた**ブローニング自動小銃(BAR)とは異なる、長大なベルト給弾式機関銃だ。
「伏せろ、制圧射撃いくぞ!」
祖父は、BARの20発という限られた弾倉とは違い、M60がまるで尽きることのない弾幕を敵に浴びせ続ける光景を目にした。火線が交錯し、ソウル中心部は使用されている兵器と同じ時代のベトナム戦争期のような都市戦の様相を呈していた。それは、祖父の見てきた戦争とは全く違うものだった。
通信が絶え間なく飛び交う。無線機もまた、この記憶の中では小型で高性能なものに置き換えられていた。
「北門制圧、南側迂回開始」
「敵、再集結中、夜間攻撃の兆候あり」
だが、部隊は暗視装置を装備していた。それは、当時夜間の戦闘を制する唯一の方法だった、フレア弾や照明弾の光を必要としない、革新的な技術だった。夜間、煙に隠れた敵兵のシルエットが赤く浮かび上がった。そして、空からはAH-1Gコブラ攻撃ヘリコプターが旋回していた。 史実の朝鮮戦争では、攻撃ヘリコプターという概念自体が存在しなかった。地上を援護するのは、F-51マスタングやF-86セイバーといったレシプロや初期のジェット戦闘機だった。しかし、この記憶の中のコブラは、低空を高速で飛び回り、機関砲を掃射し、ロケット弾を発射する。その圧倒的な火力は、地上部隊の危機を何度も救った。




