第25章 雨宮遼太の記憶の中で「追体験」
(これは夢ではない。記憶だ。…そして、それは私の祖父の記憶だ)
「このボルト、アメリカじゃ作れんです」
1950年7月2日 佐世保・旧海軍工廠内(現・米海軍第7海軍兵站部臨時所)
金属と焦げ付いたオイルの匂いが立ちこめる中、1台のM24軽戦車の車台が持ち上げられていた。アレン軍曹が油まみれのハーネスを見つめ、ヘルメットの縁で額の汗を拭う。
マリンズ中尉「ねえ、雨宮さん。トランスミッションの部品がまだ詰まっています。原因が分からない」
石井(通訳)「雨宮さん、中尉が言っています。この間の機械、また動かなくなったそうです」
雨宮俊一は、オイルまみれの手袋を外すと、ゆっくりとフレームを指でなぞった。
「……これ、アメリカの冷間鍛造じゃ無理ばい。内径の精度が甘か。戦車のクラッチなら、こぎゃん0.01ミリでズレても壊れる」
石井(通訳)「彼は、この軸の精度が足りないと言っています。日本では0.01ミリで仕上げるけど、米国の工場はそこまでやっていない、と」
マリンズ中尉は、わずかに眉を上げた。「仕様図が間違っているということですか?」
雨宮俊一は軽く笑った。「絵が悪いんじゃなかと。作る腕が追いついてなかとたい」
彼は続ける。「このボルトの熱処理は、旧呉海軍式でやらんと、すぐ削れるばい。うちで鍛えてしまえばよか」
石井(通訳)「彼は、図面ではなく製造精度が足りないと言ってます。この部品は、旧海軍の基準で作り直せ、と」
マリンズ中尉は沈黙し、しばらく部品を見てから、ぽつりと呟いた。
「私たちは何百台もの戦車を、海を渡って運びました……この仕様で。」
(こんな仕様で、何百台も朝鮮に送ってたのか……)
雨宮俊一は、鉄粉まみれの手でコーヒー缶を取ると、静かに言った。
「おたくらは戦争ばしよる。こちらは、それを支える道具ばい」
「わしらの町工場も、兵隊ですけん」
石井(通訳)「彼は、あなた方が戦争をしている間、こちらはそれを支える道具を作っているんだと。町工場も、兵隊だと」
一瞬の静寂。
マリンズ中尉は静かに頷き、整備中のM24の装甲に手をかけた。
「あなたの道具が釜山で人命を救いました、雨宮さん」
石井(通訳)「釜山で、君たちの工具が命を救った、と言ってます」
雨宮俊一は目を細め、遠い年月を見つめるように答えた。
「命ば救うとなら、そいはよかこつばい」




