第21章 海自乗員 瀬戸拓真の記憶の中で
(これは夢ではない。記憶だ。…そして、それは私の祖父の記憶だ)—
1950年6月24日/東京・日比谷社屋 朝刊編集局
私はその日、休暇を利用して、友人の伝手を頼り、日比谷の新聞社で手伝いのような真似事をしていた。旧海軍の通信兵だった経歴を買われ、無線翻訳や英文電文の読み解きを任されていたのだ。
まだ、戦後とは言えない時代だった。灰と瓦礫を積み上げたようなこの国で、私たち復員兵は居場所を探していた。
編集局の片隅に立ち込める紙煙の中、私は机の上に広げられた朝鮮半島の地図を睨んでいた。北緯38度線──その赤い境界線の上に、誰かが手書きでいくつもの×印をつけている。開城、春川、鉄原、そしてソウル。
「おい兄さん、昼飯はどうしたんだ」
隣のデスクで煙草をもみ消した山岸という古参記者が、声をかけてきた。
「いえ、ちょっと……気になりまして。38度線の向こう、何か起きそうで」
私の声は、自分でも驚くほど乾いていた。
山岸は鼻を鳴らし、重たく言った。「起きてるよ、ずっと前からな。だがアメリカは静観だ。スターリンも派手には動かん。中共? あそこも内政で手一杯だ。つまり、現状維持だ」
その言葉に、私はただ黙った。
昨日、台湾駐在中の通信員から送られてきた英文電報に、私は妙な既視感を覚えていた。
"Kim Il-sung pushing for southern advance again."
その一節と共に、暗号符号として添えられた符号群を、私は無意識のうちに読み解いていた。
──中ソの黙認あり。三日でソウル、二週間で全域制圧可能。
その可能性に、背中が冷たくなった。かつて無線室で暗号電報を解読していた記憶が、焼け跡の東京でよみがえるとは思わなかった。
私は小さく呟いた。「……三日でソウル、二週間で南全域制圧」
その言葉が、誰にも聞こえなかったことを祈った。