第2章 1950年「ICは、記憶する機械ではない」
1950年・東京・芝浦工業試作所
芝浦の臨海地区に、かつて海軍技術研究所だった灰色の鉄筋建物が建っていた。無骨な白いカバーをかけられた試験機材が、薄暗い部屋にずらりと並んでいる。
アラン・J・マルコム少佐は、その中心でしゃがみ込み、カーボン紙の束と真空管がむき出しになったブレッドボードを前にしていた。
「違う、『選択』なんだ。ロジックを記憶素子で行うという概念そのものが違う」
マルコムの言葉に、隣にいた技術者・高柳は戸惑いを隠せない。
「……選択? スイッチングなら、トグルスイッチかトランジスタを切り替えれば済む話では」
「いや。君たちは『点けるか、消えるか』でしか見ていない。俺たちは『いつどこで、何を優先させるか』を設計段階で制御している。ICはただの配線の集まりじゃない」
彼は静かに、厚手のゴム手袋を外すと、内ポケットから薄いシリコンウェハーを取り出した。表面には、数十万のゲート構造が刻まれている。インテル8051互換マトリクスに酷似したデザインだった。
「これが、未来の回路か……。ケイ素でできた、記憶する神経……」
高柳が呟く。
「ダーパの幻想」――10年以上早い未来
「ダーパ…?」
「そう、国防高等研究計画局。おたくの陸軍技術本部とはちょっと違う。あそこは『戦争が起きる前に、技術で戦争そのものを止める』という考え方がある」
マルコムは、半導体のPN接合図と、バス接続図を並べたトレースペーパーを卓上に敷いた。
「この設計は、航空機のフェイズドアレイ・レーダーと、艦艇のECM(電子妨害)制御をリンクするための『時間調整制御構造』だ。1950年代のおたくらの発想では、最低でも10年、いや20年はかかる」
「……ということは、ICとは単なる『回路』じゃなくて、『人工神経網』ですか?」
マルコムは、ニヤリと笑った。
「そう。いずれこれは『身体』を創ることになる。まだ先の話だがな」
「量産ラインを築け。3ヶ月だ」
研究者の一人が、おずおずと尋ねた。
「この設計、再現可能ですか……? 量産など…」
彼が指差すのは、MOS構造トランジスタを並列化した「4bitALU」の試作設計図だ。
「フォトレジストと、真空炉。それから分子蒸着装置がいる。3ヶ月で試作1ロット、半年で軍事搭載可能だ」
研究室が静まり返った。
「…アメリカでは、いつこれが作られていたんですか?」
「…1981年。だけど俺が使っていたのは、だがすでに1950年の今、その原型モデルが試作されている」
マルコムはそう言い放った。その言葉は、彼がどれほど先の時代から来たかを雄弁に物語っていた。
「このICが搭載されるレーダー、通信機、火器管制装置が、10年後の1960年のこの世界を変える」