第71章 再稼働の葛藤(原発再始動)
鹿島原発・制御室
日時: DAY7 10:45 JST
開戦直後、北朝鮮の特殊部隊によるテロ攻撃は、日本を震撼させた。鹿島原発もその標的となり、制御システムの一部が破壊され、炉心溶融の危機に瀕した。辛うじて冷却に成功し、最悪の事態は回避されたが、日本全国の原発は、即座に運転を停止した。
しかし、エネルギー不足は深刻な問題だった。国際的な混乱が続く中、安定した電力供給を確保するため、政府は原発の再稼働を決断した。その安全対策は、陸上自衛隊と警察による警備強化のみ。テロ攻撃に対する物理的な防御力は格段に向上したが、原発自体が持つ本質的な危険性、すなわち炉心溶融のリスクに対する抜本的な対策は、何一つ講じられていなかった。
鹿島原発の制御室では、緊張した面持ちの所員たちが、再稼働の最終チェックを行っていた。
「炉心温度、異常なし。制御棒、引き抜き準備完了」
若い所員が震える声で報告する。彼の視線は、計器盤の数字を追う一方で、制御室の窓の外にいる迷彩服の自衛官たちへと向いていた。
(僕たちが怖いのは、テロリストそのものじゃない…)
誰もがそう感じていた。物理的な警備が強化されても、テロの脅威が消えたわけではない。テロリストたちは、単に物理的な破壊を目的とするだけでなく、原発のシステムそのものを熟知している可能性が高いからだ。
「電力需要が逼迫しています。もう猶予はありません」
本部長が、固い声で再稼働を促した。
忘れられた恐怖
その時、一人のベテラン所員が、顔を青ざめさせて中央制御盤の冷却システムを指差した。
「本部長!このサブシステムだけ、予備電源への切り替えが確認できません!東日本大震災の時に、福島第一原発で起きたのと同じ連鎖です」
所員の言葉に、制御室内の空気が一瞬で凍り付いた。皆が、テロの恐怖ばかりに気を取られ、原発が元来抱える、自然災害に対する脆弱性を忘れていたのだ。
政府はテロ対策として、警備員を増員し、サイバーセキュリティの強化を試みた。しかし、根本的な問題である全電源喪失という最悪の事態への対策は、経済的・時間的な制約から、全く手つかずのままだった。
本部長の額に冷や汗がにじむ。テロリストはまだ姿を見せていない。だが、本部長には分かっていた。この原発が抱える、構造的な脆弱性は、テロリストの攻撃を待つまでもなく、いつか必ず牙を剥くと。
そして、その最も恐ろしいトリガーは、サイバー攻撃でもなければ、テロ攻撃でもない。それは、誰も止めることのできない、**「巨大地震」**そのものだった。
中央制御盤の警告ランプが、けたたましい音を立てて点滅し始めた。
「緊急警報!冷却ポンプ、作動停止!」
画面に映し出されたのは、前回と同じ、冷却システムの強制停止を示すエラーコードだった。テロリストの仕業ではない。制御システムのプログラムに、テロリストが仕掛けた**「潜在的ロジックボム」**が、再稼働の負荷をトリガーに発動したのだ。
炉心内の温度を示すグラフが、警告ラインを超え、急激に上昇を始める。
「本部長、どうしますか!このままでは…!」
「落ち着け!手動での冷却システム起動を急げ!ハッキングを仕掛けている場所を特定しろ!」
本部長の指示が飛ぶが、その直後、声がスピーカーから響いた。
『…訓練終了!』
所員たちは一斉に顔を上げ、放心状態のまま互いを見つめ合った。
「…本部長、これも訓練だったんですか?」
若い所員の震える声に、本部長はただ黙って頷いた。彼の顔は、恐怖と安堵、そして深い疲労でぐしゃぐしゃになっていた。
「そうだ…訓練だ。しかし、今回のシミュレーションは、現実のシナリオを二重に組み込んだものだった。テロ攻撃と、そして…」
本部長は、制御盤に映し出されたエラーコードをじっと見つめる。
「そして、原発が持つ本来の脆弱性だ。たとえテロリストが姿を見せなくとも、この原発は、いつか必ず同じ危機に直面する。我々が、その瞬間に対応できるのか…」
彼の言葉は、誰にも届かない独り言のようだった。目の前の訓練は成功した。しかし、彼らの心には、本物の恐怖が、深く刻み込まれていた。