第45章 台湾 出国リミット
DAY5+6時間
台湾中部・台中港/台中国際空港周辺
濃灰色の空の下、台中港第3バースには、避難を求める人々が波のように押し寄せていた。海上自衛隊の高速輸送艇と、米海兵隊のLCAC(エアクッション揚陸艇)が往復に接岸しては離れていくが、一度に乗せられる人数はせいぜい数十名だ。
「こちらの列を優先!妊婦と子どもを先に!」
日本語と中国語、英語が飛び交うなか、台湾海軍、そして在台米軍の憲兵隊が混成で避難民の仕分けをしていた。
港湾フェンスを越えて、外から民間人がなだれ込んでくる。彼らの顔には、もう秩序も希望もなかった。「選ばれない側」に追いやられた人々が、怒号と悲鳴をあげて手を伸ばす。
「どうしてあいつが選ばれて、俺は駄目なんだ……!」
「うちは金を払ったんだ!チケットがあるんだよ!」
「この子には持病があるんだ!お願いだよ!」
地べたに膝をつき、泣き崩れる老人。小さな子どもを背負って、フェンス越しにC-130を指さす母親。その後ろには、まるで列が終わらないかのように、次々と人々が押し寄せてくる。
台中国際空港:滑走路脇の「命の数分」
一方、内陸にある台中国際空港(清泉崗基地)では、米軍のC-130H輸送機が地上滞在時間12分という厳戒態勢で稼働を続けていた。搭乗ゲートはもはや意味をなさない。人々は番号でもチケットでもなく、「軍の指名順」で選択されていく。
「韓国籍、アメリカ籍の家族グループ、前へ!」
「日本人配偶者を確認、先に!」
優先順位の基準は、「パスポート」と「軍・外交関係者」だ。当然、現地の一般市民からは理解されるはずもなかった。柵の外側で声を荒げる民間人たち。一部は怒りで金属フェンスを蹴り、一部は恐怖で床に倒れ込む。
「日本人だ、この子だけでも……頼む、連れていってくれ!」
それはもう、戦争ではなかった。崩壊だった。
C-130は一度に最大100人前後しか乗せられない。LCACや海自の高速艇も、波が高ければ使えない。一日2,000人が限界だとしても、すでに港と空港に集まった人は15万人を超えていた。
その中には、外交官や企業関係者、その家族など、「公式に優先すべき人物」が多数含まれている。
「……時間がない」
台湾側の輸送統括官が、深い息を吐いた。
「ここで『民間優先』になれば、組織が潰れる。だが『軍関係者優先』を続ければ、群衆は暴徒化する――どちらも正しく、どちらも破滅を招く」
避難とは、人道ではない。
戦略であり、選別であり、政治判断だった。