第41章 海底下の静寂
DAY3+19時間
紀伊半島沖・熊野灘南東80km海域
連携母船:JAMSTEC 深海作業支援船「かいれい」艦上
水平線の彼方に朝日が滲んでいた。海面は異様なほど静かで、まるで深海が息を潜めているようだった。
「測位確定。海底座標、北緯33度09分27秒、東経136度47分05秒。水深1,980メートル」
通信室で海上保安官が確認を告げると、科学観測室では、主任地質学者の椎名准教授(東京大学地震研究所)が即座に反応した。
「よし。ここが断層直上、D6-04調査ラインの中央点。今日から本調査に入ります。掘削班、スタンバイを」
「ちきゅう」の中央部には、船体を貫通する巨大なムーンプール(掘削穴)があり、ここから世界最高峰のドリルパイプが節ごとに接続され、海底下数千メートルまで掘り進められる。
目的は明確だ。
海底下4,000m付近のプレート境界断層の「滑り帯コア」の採取
断層周辺の熱水・流体圧のモニタリングシステム(LTBMS)の再設置
過去の地震活動と相関のある、シルト層の断層鏡面(断層ミラー)の検出
椎名は、掘削担当チーフの技師長・市原とともに、海底へのドリル先端に搭載される複合型コア採取装置のキャリブレーションを終えると、深く息を吸い込んだ。
「今回の層準は、ちょうど30年前の南海トラフ『ゆっくり滑り』イベントの記録点と一致している。微小歪、変成岩の剪断テクスチャ、それに……間隙水のpH値を継続観測しておきたい」
「わかりました。D-EX2ビット使用、掘削深度は4,210mを予定しています。第一フェーズの作業時間は、およそ48時間です」
クレーンが駆動音を上げると、金属の節がまた一節と繋がっていく。乗員は、まるで「地下への橋」を組み立てるかのように、無言でパイプを送り続けた。
船上指令室内
椎名は、観測班の一人――気象・流体循環専門の村瀬(京大・地球物理)と、断層面への異常な熱分布について話し合っていた。
「これを見てほしい。昨日のAUV(自律型無人潜水機)による広域熱画像なんだが、断層上部の数百メートルに、非対称な温度帯がある」
「……冷水の逆流か? いや、違うな。これ、地下から断層沿いに細い流体が噴き出している。フェライト鉱の析出パターンとも一致している」
椎名は頷いた。過去の地震・地滑り・断層活動と、この種の**「流体駆動型歪集中」**には関連がある。
「これが、活断層内の『準安定滑り』によるものだとしたら……いずれにせよ、外力のトリガーで破断が起きる可能性がある」
「だが、巨大地震を引き起こすほどの応力集中は足りない。あるいは、まだ『見えていない』だけか」
その言葉に椎名は頷きながらも、どこか内心の不安を押し殺しているように見えた。
そのとき、艦の通信担当者がラボに駆け込んできた「緊急連絡が入っています」
主任地質学者の椎名准教授は「どからだ」といぶかしげに尋ねる
「内閣官房からです」