第30章 出航コマンド ちきゅう
DAY3
暗がりの港内に、わずかな潮騒の響きがあった。巨大な白亜の船体を静かに照らすのは、岸壁に据えられた高光度照明。
その名は――「ちきゅう」。
国際海洋科学掘削計画(IODP)の主力観測船であり、世界で唯一「マントル到達」すら目指せる、超深海掘削プラットフォームを備えた深海地球探査船である。
艦橋の中では、出航前のブリーフィングが静かに進んでいた。モニターには、南海トラフ沿いのプレート境界断層モデル、掘削予定ラインD6-04、そして地殻応力異常領域を示すカラーグラフが映し出されている。
「これが、観測対象断層の最新せん断応力分布。深さ4,800m、岩相は変成泥岩層とみられる。今回の調査目的は、断層直上部での流体の長期観測と、微小断層の構造解析だ」
口調は淡々としていたが、ただの研究ではない、張り詰めた緊張感が滲んでいた。
隣にいた文部科学省の技官が、一枚の紙を静かに差し出す。
「……これは?」
「防衛省・内閣危機管理庁連名による『科学観測例外出航指示』です。国際情勢を踏まえ、今回の任務は『最優先事項』と定められました」
科学と軍事、国家の思惑が交錯する。
艦長はわずかに目を閉じ、そして開いた。
「――全乗員配置。主機始動、出港準備」
その一言が、巨大な観測船の心臓を鼓動させた。
艦内の機関部では、6基のディーゼル発電ユニットが順に始動し、艦全体を揺らす。
艦首には「CHIKYU」の名前が、英語とカタカナの両方で記されている。その名前の重さを、艦橋の誰もが静かに噛みしめていた。
「地球を、深く知る」――それがこの船の名前の意味である。
そして今回、その言葉はかつてない重みを帯びていた。
まるで、「地球自身が、異変を感じている」かのように思えたからだ。




