第5章 二正面の危機
2026年8月 DAY0 +18時間
防衛省横須賀司令部、地下深くにある統合司令室は、重苦しい空気に満ちていた。外の世界が夏の陽光に包まれていようとも、この部屋の空気は冷たく、乾いていた。壁一面の巨大なモニターには、世界各地の戦況図が映し出されている。赤、青、緑のアイコンが、まるで生きた生物のように蠢いていた。 中央の円卓を囲むように、統合幕僚長・秋山陸将、海上幕僚長・村上海将、陸上幕僚長・山田陸将、そして情報本部の幹部たちが、疲労を隠せない表情で座っていた。彼らの前には、いくつもの報告書が積み重なっている。
「状況を整理する」
秋山陸将が、静かに、しかし威厳のある声で口を開いた。その声は、この部屋の重苦しい空気を切り裂くかのようだった。
「まず、沖縄での状況だ。米海軍の原子力空母ロナルド・レーガンの残骸が、那覇沖の海底に沈んでいることを、ドローンと衛星観測で確認した」
モニターが切り替わり、那覇沖の海底に横たわる、巨大な空母のシルエットが映し出される。それは、艦首から艦尾まで、ほぼ原型を留めているように見えた。しかし、艦橋は消え、飛行甲板は無数の亀裂が入っている。それは、間違いなくロナルド・レーガンだった。
「なぜ、日本海にいたはずの空母が、那覇沖に……?」
村上海将の問いに、情報本部の幹部が答える。
「詳細は不明です。しかし、この数日の間に、那覇の海岸で発見された米海軍の乗員数十名が、ロナルド・レーガン所属であること、そして彼らが『急性記憶喪失』に陥っていることから、何らかの異常事態に巻き込まれたことは確実かと」
村上は、目を閉じた。彼の脳裏には、日本海で沈んだ、自らの潜水艦「そうりゅう」の姿が浮かんでいた。
「次に、台湾だ」 モニターが再び切り替わり、台湾海峡の戦況図が映し出される。 「中国海軍の第一陣が、台湾への上陸を完了。橋頭堡を確立しました。台湾軍は激しく抵抗していますが、時間の問題です」 陸上幕僚長・山田陸将が、眉をひそめる。 「台湾が落ちれば、南西諸島、そして日本本土も、中国の作戦圏内に入る。我々は、台湾に援軍を送るべきではないのか?」 秋山は、首を振る。 「我々は、今、二正面で戦っている。台湾、そして……北朝鮮だ」
モニターの画面が、ソウルの街へと切り替わる。
「北朝鮮は、ソウルにミサイルの飽和攻撃を仕掛け、都市機能を麻痺させました。地上軍の侵攻も始まっています。韓国軍は抵抗していますが、こちらも時間の問題です」
秋山の言葉に、全員が沈黙する。
「つまり、我々は、二正面でともに危機に直面している」 秋山の声が、重く響き渡る。 「この状況下で、沖縄沖に現れた、謎の『空母』。に同時に対応しなければならない」
会議室の空気は、張り詰めていた。誰もが、この未曾有の危機を前に、言葉を失っていた。
「大和」が再び現れ、そして「そうりゅう」と「ロナルド・レーガン」が沈んだ。この事件は、単なる軍事事故ではない。それは、歴史の歯車が、大きく狂い始めたことを意味していた。