第90章 水深の揺らぎ
午前9時15分、那覇港を出た「ときわ」は、低速のまま港外の航路指定路を南東へ進んでいた。タグボートは離れ、港湾の防波堤が小さくなってゆく。
「水深計、騒音補正確認」
ソナー員が読み上げた数字は、海図の記載と視認しても問題ない……はずだった。
それにしても、艦首が「比謝川沖の特定ポイント」に差し掛かった瞬間、スクリーンの数字が不自然に上昇した。
「……おい、なんだこれ」
森中が眉をひそめる。航路上のその位置は、最新の港湾局データでも水深130〜135メートルのはずだ。50メートル以上も浅い値が、数秒おきに揺らいでいる。
「トランスデューサ異常なし、ケーブルも問題ありません」
「海底地形変動か?」
「あり得ません、この水域は堆積変化がほぼゼロのはずです」
艦長・久保田1佐は短く「記録だけ残せ」と命じた。港湾近くでの浅瀬情報は慎重に扱うべきだが、この揺らぎはあまりに不規則だった。
「まるで……何かが『そこ』に現れたり、消えたりしてるみたいだな」
誰かが呟き、森中は睨むように黙らせた。
補給艦は速度を上げ、異常ポイントを抜ける。水深は安定して**—132m**に戻った。しかし、艦橋の空気には微かなざわめきが残っていた。
久保田は海日誌に簡単な注記を残すだけで、その場をやり過ごす。
艦尾で煙草を吸っていた甲板員は、海面の向こうに「影」のような波紋が一瞬広がるのを見た。船の航跡とは違う、巨大で鈍い動きだった。