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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第六章:恣意的な「防潮堤」


 親譲りの最適化バイアスがもたらした「左遷」という名の強制遷移トランジションは、私を港区の「ゾーン・ゼロ」へと叩き落としたが、そこには行政が「無誤謬性」という名の漂白剤で消し去ろうとした、生々しいデータの死骸が転がっていた 。古賀こがという、データ上は「死亡」として処理された男との邂逅は、私のロジックという名の回路に、かつてないほどの過負荷オーバーロードを与えた 。

 だが、九藤くどう次長率いる復興庁・東京鎮守府の「いやらしさ」の真髄は、情報の消去だけではない 。それは、物理的な「境界」を恣意的に歪めることで、人間を「選別」するその手法にある 。


1. 物理的障壁としての不平等

 「ゾーン・ゼロ」の測量業務の合間、私はこの「灰の都」を物理的に分断する巨大な建造物を仰ぎ見た。それは、核爆心地に近い旧千代田区を囲むように、万里の長城のごとく張り巡らされた「防潮堤」である 。

 行政文書の上では、この壁は「地域住民を津波と汚染水から公平に保護するための防護壁」と定義されている。だが、物理学者としての私の目には、その構造自体が歪んだ権力欲の関数に見えた。防潮堤の高さ、厚み、そして使用されているコンクリートの強度は、爆心地からの距離ではなく、九藤が設定した「特権階級の居住区セーフ・ゾーン」からの近さに比例している 。

 規則では「公平に建設」と謳いながら、実際には特定の高級官僚や復興利権に群がる企業家たちの住むエリアだけが、オーバーエンジニアリングとも言える重厚な壁で守られている 。一方で、古賀のような「データ上の死者」や帰還住民たちが蠢くエリアの壁は、見た目こそ立派だが、構造計算上は次の津波で崩壊することが予見される「書き割り」に過ぎない。

 これは、流体力学における「境界条件」の恣意的な操作だ。九藤は、自らの権力基盤を守るために、東京という流体空間に、非対称なポテンシャルの壁を築き上げたのである 。

2. ゲートの主、柴田の愉悦

 この巨大な防潮堤には、数カ所に「管理ゲート」が設けられている。その一つ、セーフ・ゾーンへの入り口を管理しているのが、庶務係長の柴田しばただ 。彼は、左遷された私の動向を監視する名目で、このゲートの「開閉権」を掌握していた 。

私が測量の報告のためにゲートに近づくと、柴田は防護服の上からでも分かるような卑屈で、それでいて傲慢な笑みを浮かべて立ち塞がった。

「ああ、れい補佐官。いや、今はただの『移動計測員』でしたかな。あいにくですが、今の時間は『規則』により、計測車両の通行は制限されています。様式第十五号の『特別通行許可証』を、今すぐ物理的な紙で提出していただかない限り、ゲートは開きませんな」

「柴田係長、今は緊急のデータ転送が必要だ。このゲートの熱膨張による歪みが許容値を超えている可能性がある。即座に通過させろ」

柴田は、手元の端末を見もせずに、小市民的な教養をひけらかすように鼻で笑った。

「熱膨張? フフ、万葉の昔から、日本人は『待つ』ことの美徳を知っていました。『あかねさす、紫野行き標野行き、ゲートの閉まるは、規則なりけり』。零さん、あなたの言う『物理的緊急性』など、行政文書の『形式的正確性』に比べれば、量子力学的な不確定要素に過ぎない」

 柴田は、そのゲートを開閉する電子キーを指先で弄びながら、悦に入っている 。彼にとって、このゲートは物理的な防護施設ではない。自分より「知識」や「地位」があるはずの人間を、自分の意志一つで立ち往生させ、屈服させるための、嗜虐的な装置なのだ 。

 柴田のような小役人の「いやらしさ」の本質は、規則を「遵守」することにあるのではない。規則を「恣意的に解釈」し、その「例外」を自分の裁量で操ることで生じる、万能感の摂取にある 。

3. 「無誤謬性」という名の歪曲

 九藤が設計し、柴田が管理するこの防潮堤は、まさに東京鎮守府の「無誤謬性むごびゅうせい」を体現している 。

 九藤の論理によれば、この壁は「行政が作った」がゆえに、論理的に「崩壊することはない」 。例えコンクリートの配合に不正があろうとも、地盤沈下で基礎が歪んでいようとも、行政文書に「堅牢である」と記述された瞬間、その壁は物理法則を超越した聖域となる 。

 零(私)が提示した、構造欠陥による崩壊のシミュレーション結果も、九藤にとっては「行政の無誤謬性に対するデバッグ不能なエラー」として処理されるだけだ 。九藤は、自らの権力欲を「公共の安全」という名の高尚なロジックでコーティングし、その裏で柴田のような人間に「恣意的な門番」を演じさせている 。

 特権階級を囲い込むこの壁は、物理的な汚染を防ぐためのものではない。それは、壁の外側に広がる「不条理」と「暗い大地」から、自分たちの既得権益とプライドを隔離するための、精神的な防壁なのだ 。

4. 灰の下の「非線形」な抵抗

柴田によってゲートを閉ざされた私は、車を降り、防潮堤の巨大な影の中に立った。

 壁の向こう側では、九藤たちが「東京は完全に浄化された」という安全神話に酔いしれている 。だが、私の足元――この灰の下には、行政の嘘に抗い、記述されることのない痛みを抱えて生きる古賀たちの「生の横溢おういつ」が、腐植土のように堆積している 。

九藤のロジックは「線形的」だ。文書を書けば、現実がそれに従うと信じている。だが、現実の世界は「非線形」である。壁で塞げば塞ぐほど、内部の圧力は高まり、予測不能な「特異点」を生み出す。

柴田がゲートを閉ざして悦に入っているその瞬間にも、防潮堤の微細なクラックからは、高濃度の汚染水という名の「真実」が、静かに、しかし確実に染み出し、彼らが作り上げた「無誤謬の聖域」を侵食し始めている。

「柴田係長、お前の持っているその鍵が、いつまで通用すると思っている。物理法則は、行政文書の『行間』を読むほど暇じゃないんだ」

私は、柴田の冷笑を背に受けながら、防潮堤のコンクリートに自作のガイガーカウンターを押し当てた。激しいクリック音が、壁の内部で起きている「崩壊の予兆」を、正確なリズムで刻み始めている。

 九藤、柴田。お前たちが築き上げたこの恣意的な「境界」は、次に押し寄せる巨大な不条理の波――物理的な津波であれ、民衆の怨嗟であれ――を前に、紙細工のように無力であることを、私は私のロジックで証明してやる 。

 祈りは、言葉の中にはない。  この歪んだ防潮堤の「歪み」を正確に測り、その破綻の瞬間を沈黙して待つこと。  それこそが、不適合者である私に与えられた、唯一の「再起動リブート」のための観測なのだから 。

(第七章へ続く)



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