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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第33章:万年の語り部たち


2052年、晩秋。太陽系を包む障壁の内側では、時間がかつてのような直線的な「進歩」の速度を辞め、惑星の呼吸に合わせた円環的な「定常ていじょう」のリズムへと移行していた 。信州の山奥、かつて存在遷移局(Transition Bureau)の指令室があった場所のほど近くに、一本の巨大なミズナラの樹が立っている。その樹の根元、菌根ネットワークが最も密に集まる「特等席」に、須賀圭介すが けいすけは座っていた 。

かつて存在遷移局の広報官として、若者と組織の緩衝材かんしょうざいを務めていた彼は、今やこの「定常型社会」において最も重要な、そして最も孤独な職務に就いていた 。それは、物質的な肉体を捨て、光速の思考処理へと至ったポストヒューマンたちと、大地に根を下ろし植物的な平穏を選んだヒューマンたちの双方に向けて、人類がかつて持っていた「喪失そうしつ」の記憶を語り継ぐこと――「万年の語りかたりべ」としての役割である 。

「……さて、今夜は、かつて東京という街が、空から降る水の重みに沈みそうだった頃の話をしようか」

須賀の声は、物理的な空気の振動を介するだけでなく、脳内に直接埋め込まれたニューラル・インターフェースを通じて、全宇宙のネットワークへと放流されていた。彼の背後では、中立AI「イザナミ」が、その声を恒星間空間を飛翔するポストヒューマンたちが理解できる「高密度の情報パターン」へと変換し、同時に森の地下に広がる菌根ネットワークが、樹木たちの代謝たいしゃリズムへと翻訳ほんやくしていた 。

須賀は、かつての愛用していたトレンチコートを傍らに置き、冷めきったブラックコーヒーの香りを模した「記憶の符号コード」を脳内で再生した 。彼が語るのは、もはや統計データとしての歴史ではない。それは、一人の人間が何かを愛し、そしてそれを失った時に生じる、あの胸が締め付けられるような「揺らぎ(フラクチュエーション)」の記録だった 。

「ポストヒューマンの諸君、君たちは今、情報の破棄による発熱を伴わない『可逆計算かぎゃくけいさん』の世界にいる 。君たちの世界には、もはや『取り返しのつかない失敗』も『埋めることのできない欠損けっそん』も存在しないだろう。すべては計算可能で、修復可能なはずだ」

須賀は、空に浮かぶ微かな光の粒――かつての仲間であり、今は光速の知性となった四条四季しじょう しきたちを見上げるように語りかけた 。

「だが、忘れないでほしい。人類という種をここまで運んできたのは、完璧な計算ではない。むしろ、あまりにも不器用で、非効率な『悲しみ』だったのだ。……かつて、愛する人を失い、それでもなお、止まない雨の中で誰かを守ろうとした少年がいた。あの日、彼が選んだのは、世界の正しさではなく、たった一人の少女の手を握り続けることだった」

須賀の語る「物語」は、情報の海を漂うポストヒューマンたちの論理回路に、微かな、しかし決定的な「ノイズ」を刻んでいった。彼らにとって、喪失はもはや物理的にあり得ない事象である。しかし、須賀の語りを通じて届けられる「クオリア(主観的な質感)」は、彼らのカーネルに、かつて自分たちが「不完全な肉体」を持っていた頃の、懐かしい痛みと愛着を呼び覚ます 。

一方で、大地に留まったヒューマンたちにとって、須賀の声は「せい」の輪郭を際立たせるための灯火ともしびだった。第29章で光合成する意識となった松崎日向まつざき ひなたや、第30章で菌根ネットワークと同調した夏木なな(なつき なな)は、須賀の物語を、自らの細胞内に流れる養分(栄養)のように受け取っていた 。

「種の記憶」――それは、物質から情報へと存在の形を変えても、決して失ってはならない人類の「指紋」である 。須賀は、自分がかつて明日花あすかという女性を失い、その空白を抱えたまま、残された娘や少年たちのために「大人」のリアリズムを貫き通したあの日々を、全宇宙へ公開していた 。

「私たちがかつて、何者であり、何に怯え、何を美しいと信じていたのか。それらを語り継ぐ者がいなくなった時、この宇宙はただの『完璧な計算機』に成り下がるだろう。……熱的死ねつてきしという名の、究極の静寂に向かってね 」

須賀が語る物語の終わりには、いつも決まった一節が添えられる。それは、失うことの悲しみを知っている者だけが持てる、深い祈りのようなものだ。

「……だから、私は明日もここで語り続けよう。一万年後、君たちが宇宙の果てで新しい特異点とぎてんを創造するその日まで、人類がかつて流した『涙』という名の情報の重みを、私がこの場所で支え続けていよう 」

語り終えた須賀の周囲で、ミズナラの葉が風に揺れた。菌根ネットワークを介して、森全体の樹木たちが、須賀の物語を自らの年輪ねんりんへと刻み込む音が聞こえるような気がした 。それは、地球という「記憶の図書館」に、また新しい一頁いちページが加えられた瞬間だった。

須賀圭介は、冷えた空気の中で静かに目を閉じた。かつての広報官としての多忙な日々は遠い過去となり、今はただ、全宇宙の生命の「揺らぎ」を維持するための、最も重厚で静かな職務に身を委ねていた 。彼の声は、障壁を越え、銀河の彼方まで届き、人類という名の物語を永遠に宇宙の背景放射へと刻み続けていく。

第33章、万年の語り部たち。 それは、人類が物質世界に残した最後の「誇り」が、情報の海と大地の根の間で、永遠の還流かんりゅうを開始した記録であった 。


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