第60章 追認する瞬間
地下深くの危機管理センターは、まるで空気そのものが緊張を帯びているかのように静まり返っていた。壁一面の大型スクリーンには、統幕のCOP(Common Operational Picture)が映し出され、味方、敵、中立のアイコンが刻々と更新されている。
首相は防衛大臣、防衛事務次官、統幕長、外務省安全保障局長らと並び、視線を一点に凝らしていた。
赤く点滅する宮古島市街のマーカー、そのすぐ沖合には敵揚陸艦群のシンボル。尖閣海域は海保巡視船と護衛艦のアイコンが密集し、膠着状態を示している。さらに北方の日本海には、米空母レーガンのシンボルが隊形を外れて単独で北西へ進んでいた。
統幕運用部長(海将補)が低く報告する。「宮古島防衛の第15旅団から、弾薬残量が30%を切ったとの連絡。尖閣方面は海保と第4護衛隊群が防御を維持中。レーガンはリンク16を遮断、独自暗号で行動しています」
首相は受話器に指先をかけたまま、固まっていた。「命令を出せば……一線を越える」
防衛大臣は間髪入れず言い放った。「出さねば、その一線を敵が踏み越えます。宮古は持ちません」
その時、通信士官が顔色を変えて報告した。「緊急!統幕運用回線の暗号が部分的に傍受されています!」
即座にスピーカーから、くぐもった音声が流れ出した。『……宮古は後回しだ……尖閣が崩れれば外交カードになる……』
会議室の温度が、一瞬で氷点下に落ちたようだった。
外務省安全保障局長は顔面の血の気を失い、震える声で言う。「現在、全系統で暗号化アルゴリズムを緊急更新中です。しかし、この音声はすでに複数の防衛関連回線に流出しています。現場の士気への影響は……計り知れません」
統幕運用部長は黙って机上の資料を閉じ、深く息を吐いてから首相を見据えた。「——雨宮艦長は、この発言の意図を察知しています。尖閣は第4護衛隊群と自立型水中ドローンに委任。自身は独断で宮古島へ転進中です。港湾、滑走路、橋梁を、敵が橋頭堡を築く前に主砲で叩く構えです」
言葉が落ちた瞬間、会議室の全員が首相の表情を窺った。その決断が、独断行動を国家意思へと変える境界線になることを、誰もが理解していた。