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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第12章:脊髄のブリッジ(Spinal Bridge) ―断裂した軸索の架橋と後角への信号再接続

―2051年、11月。東京都高度生命科学特区メド・シティを包む空気は、人工的な冬の予感を含んでいた。ドームの温度管理システムは、市民の季節感を維持するために、わずかに乾燥した北風をシミュレートしている。しかし、その乾いた風も、国立病院の地下に運び込まれる救急患者の熱量までは奪えなかった。午前3時15分。特殊急患搬送部隊「リコリコ・メディック」の高速救急艇が、重厚なハッチを開いた。「患者、10代女性。都市型パルクール中に、ビル壁面の高出力アクチュエーターが爆発。落下の衝撃で第12胸椎(Thoracic vertebrae:胸の骨の12番目、腰との境界付近)を粉砕骨折。脊髄(Spinal cord:脳と全身を繋ぐ、脊柱管の中を通る神経の束)が完全に断裂しています!」多喜(たき:井ノ上たきな)が、リアルタイムの脊髄誘発電位(Evoked potential:神経を刺激した際に生じる電気的な反応)のグラフを犀条に転送しながら報告する 。


モニター上の信号は、損傷部位を境に完全に消失しており、絶望的な平坦線を描いていた。「多喜、彼女の『銀色の糸』が切れちゃってる。下半身が自分の場所だって、脳が忘れかけてるよ」千里(ちさと:錦木千束)は、患者の脚部に手を添え、自身の特殊な神経感応で、断絶した神経の末端が放つ微弱な「痛みの残響」を拾い上げていた 。「脊髄の完全断裂か。肉体という名のネットワークにおける、物理的な断線だな。萌、この個体の損傷端における神経膠症(Gliosis:損傷した神経組織が修復されようとして硬い瘢痕組織に置き換わる現象)の進行予測を算出せよ」手術室の影から、犀条さいじょう 創平そうへいが姿を現した 。彼は手元のカップから、極限まで濃縮されたブラックコーヒーを一口啜り、論理の回路を加速させる 。「先生、既に損傷部の3Dマッピングを完了しています。軸索(Axon:神経細胞から伸びる、電気信号を伝える長い突起)の変性が急速に進んでいます。


あと120分以内に架橋を行わなければ、末梢側の神経回路が廃用性萎縮(Disuse atrophy:長期間使用されないことで組織が衰えること)を起こし、再接続は不可能になります」西之園にしのぞの もえは、術野の3D図面を展開し、断裂した脊髄の切断面をミクロン単位で解析していた 。「よし、オペを開始する。生体の再生能力に頼る段階は過ぎた。鵜飼から調達したカーボンナノチューブ線維による『脊髄ブリッジ』をインプラントし、失われた信号経路を物理的に再建する」 術野展開:椎弓切除と硬膜の深淵へ第12手術室。犀条の手には、2051年製の超音波ボーンスカルペル(高周波振動により、血管や神経を傷つけずに骨だけを精密に切削する器具)が握られた。「これより、第12胸椎レベルの椎弓切除術(Laminectomy:脊髄を圧迫している骨の一部を取り除き、術野を確保する術式)を執刀する。富美とみさん、術中ナビゲーションの誤差を0.01ミリ以下に固定しろ」 「了解です、先生。でも、骨の中にカーボンなんて入れて、彼女が大人になった時に体のしなりに付いていけるんでしょうか?」富美(とみ:富沢)が、いつものように現実的な懸念を漏らしながら、自動手術支援システムのパラメータを調整する 。


犀条は粉砕された椎骨を慎重に取り除き、脊髄を包む最も外側の膜、硬膜(Dura mater)を露出させた 。「萌、硬膜を切開しろ。クモ膜下腔(Subarachnoid space:髄液が満たされている、クモ膜と軟膜の間の空間)を吸引し、損傷端を露出させるぞ」 「了解。マイクロ剪刀(Scissors:顕微鏡下で使用する精密なハサミ)を使用します。……見えました。脊髄が完全に分断され、断端が膨隆(ぼうりゅう:腫れ上がること)しています」モニターには、本来なら澄み渡る髄液の中に鎮座しているはずの脊髄が、無惨に引き千切られ、赤黒く変色している様子が映し出された。ブリッジの架設:軸索の物理的接続「野田さん、血液脊髄関門(Blood-spinal cord barrier:血液中の有害物質が脊髄組織へ入るのを制限するバリア機能)の破綻状況を確認しろ」 細胞病理の専門家、野田のだ 佳代かよが、遠隔センサー越しのリアルタイム解析データを提示する 。「……深刻です。浸潤した免疫細胞が、自分の神経を『異物』として攻撃し始めています。このままだと、ブリッジを架けても炎症性浮腫(Edema:炎症により組織に水分が溜まり、腫れ上がること)で押し潰されてしまいます」「論理的な解決策は一つだ。ブリッジの基材に免疫抑制ナノマシンをコーティングする。萌、カーボンナノチューブの束を、脊髄後角(Posterior horn:脊髄の背側にあり、全身からの感覚情報が最初に入力される領域)の感覚神経核へ正確に穿刺しろ」 犀条は、鵜飼うかいが裏ルートで確保した、神経親和性が極めて高いカーボンナノチューブ・スカフォールド(神経細胞が伸びるための足場となる人工構造体)を取り出した 。萌は自身の脳内計算機を全開にし、数百万本の神経線維の「住所」を特定していく。


「先生、接続プロトコル、準備完了。中枢側からの運動指令パルスと、末梢側からの感覚フィードバック信号を、ナノチューブの導電率でマッチングさせました。……今、貫入させます!」犀条の手技が、繊細な脊髄組織へと到達した。切断された両端を結ぶように、極薄のカーボン線維がブリッジとして架けられていく。特に感覚の入り口である脊髄後角への再接続は、1ミクロンの狂いも許されない精密作業だ。犀条先生、生体・機械ハイブリッド・ネットワークのリンクを検知しました。手術室の全モニターが、四季しきの意識に上書きされる 。汎用医療OSロゴスのカーネルを、ブリッジのチップに直結します。現在、断絶した軸索内を流れる活動電位(Action potential:神経細胞を伝わる電気信号の波)を、デジタル信号として増幅リピート中。……カウントダウンを開始します。 危機:神経回路の異常フィードバックその時、閉膜(開けた膜や組織を閉じる処置)直前の術野で異変が起きた。ブリッジを流れる信号が、患者の「失われた脚への記憶」と干渉し、巨大な電気的ノイズを発生させたのだ。「先生! 脳波がデルタ波領域(深い睡眠や昏睡時に見られる低周波の脳波)で異常増幅しています! 脊髄からの逆行性信号が脳幹を直撃し、視床(Thalamus:感覚情報を中枢へ中継する脳の部位)がパンニックを起こしています!」富美の声と共に、アラートが赤く点滅する。


脳が、機械的に送られてくる「新しすぎる感覚」を処理できず、幻肢痛(Phantom limb pain:失ったはずの部位に激しい痛みを感じる現象)の極大化によるショック状態に陥ったのだ。「論理が再帰エラーを起こしたか。感覚の利得ゲインが強すぎる。萌、ブリッジの抵抗値を上げろ!」 「ダメです、先生! 制御チップがロックされています! このままでは患者の精神が、激痛の無限ループに焼き切られます! 四季さん、介入して!」 不可能です。これは患者の無意識が、機械という名の『他者の脚』を拒絶している心理的障壁です。その時、手術室の隅で待機していた千里が、患者の頭部にそっと手を当てた 。「……ねえ、怖くないよ。その脚に流れる温かさは、あなたがもう一度大地を踏みしめるための光なんだよ。私のリズムに合わせて、ゆっくり流してあげて」 千里の柔らかな神経共鳴(生体磁場を通じて相手の精神状態を安定させる手法)が、暴走するパルスを優しく包み込み、鋭い電気の棘を穏やかな律動へと書き換えていく 。数秒後、モニターの激しいノイズが収まり、脊髄を流れる信号が安定した。……オーバーロードの解消を確認。脊髄ブリッジの完全定着。感覚・運動信号の双方向疎通を確立しました。 結末:再編された身体の孤独4時間後。手術は終了し、患者の脊椎には、機械的な補強骨と、青く明滅するブリッジのインジケーターが埋め込まれていた。


「オペ終了だ。彼女の脊髄は、もはや純粋な生体組織ではない。炭素の橋によって支えられた、情報伝達のハイウェイだ」 犀条は血に汚れた手袋を脱ぎ捨て、最後の一杯となった、冷めきったコーヒーを飲み干した 。見学室では、医療倫理監査官の込山こみやまが、無機質な報告書をタブレットに打ち込んでいた 。「犀条先生。今日あなたが彼女に与えたのは、歩く能力ではありません。『機械を介さなければ立てない』という依存です。彼女が今後感じる『自分の脚』の重みは、果たして彼女自身の魂のものと言えるのでしょうか?」 「込山さん。魂の重さを測る秤など、このメド・シティのどこにも存在しない。私は、彼女の切断された未来を、論理的な線維で繋ぎ止めただけだ」 病院を去る医療ジャーナリストの瀬津せつは、明け方のメド・シティを見上げながら、ICレコーダーに独白を記録した 。「……脊髄のブリッジ。それは、人間が重力という絶望を克服するために、自分の神経を鋼鉄に明け渡した記録。私たちが機械の橋を渡って手に入れる自由は、果たして、かつて土を蹴って走っていたあの頃の自由と同じ色彩をしているのだろうか」 ドームの向こう側から、人工的な太陽が昇り、鋼鉄と生体が溶け合う街を、無機質な白光で照らし出していった。

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