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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第9章:脳梁の光ファイバー(The Optic Corpus Callosum) ―左右半球のバイパスと白質への信号同期―

第9章:脳梁の光ファイバー(The Optic Corpus Callosum) ―左右半球のバイパスと白質への信号同期―2051年、10月。東京都高度生命科学特区メド・シティは、秋の深まりと共に「知能処理負荷(Cognitive load)」の増大に直面していた。特区内の全市民がネットワークに常時接続するこの街では、脳内チップの演算熱が物理的な霧となって摩天楼を包む夜がある。午前2時40分。国立病院の脳神経外科棟(N-Wing)に、リコリコ・メディックの千里ちさと多喜たきが緊急搬送した患者が運び込まれた。「患者、20代女性。特区認定の高速データ・ダイバー。潜行中に外部からの広域電磁パルス攻撃を受け、左右の脳を繋ぐ連絡路が物理的に焼き切れました!」多喜(たき:井ノ上たきな)が、脳活動のリアルタイム・マップを犀条に転送しながら報告する。モニター上では、左脳と右脳の信号が完全に孤立し、無秩序な電気の嵐が吹き荒れていた。 「多喜、彼女の『心の半分』が迷子になってるよ。右の手が自分のものだって、左の脳が気づいてないんだ」千里(ちさと:錦木千束)は、患者の瞳孔反射(瞳孔が光に反応して収縮する現象)を確認しながら、脳波の乱れを自身の神経感覚で読み取っていた。 「左右の断絶か。非論理的な破壊だな。


萌、この患者の脳梁(Corpus callosum:左右の大脳半球を繋ぎ、情報の行き来を司る巨大な神経線維の束)の損傷率を計算しろ」 手術室の暗がりに、犀条さいじょう 創平そうへいの冷徹な声が響く。彼は手元のカップから、カフェイン濃度の極めて高いブラックコーヒーを一口啜った。 「先生、既にトポグラフィー(組織の立体的な配置図)を構築済みです。脳梁の正中部分、約70%が熱凝固(たんぱく質が熱で固まり、機能を失うこと)を起こしています。これにより、半球間転移(Interhemispheric transfer:一方の脳で得た情報をもう一方へ伝えるプロセス)が完全に消失。放置すれば、人格の解体(Disintegration)が始まります」 西之園にしのぞの もえは、術野の3Dホログラムを指先で回転させ、脳の深部に潜む白い連絡路を強調した。 「よし、オペを開始する。生体の神経再生を待つ猶予はない。鵜飼から調達した『光通信型人工脳梁チップ』を白質に直接埋め込み、光ファイバーで左右を物理的に架橋する」 術野展開:大脳縦裂の深淵へ第9手術室。犀条の手には、2051年製の定位脳手術装置(Stereotaxic apparatus:三次元的な座標に基づき、脳内の正確な位置に器具を到達させる装置)が握られた。「これより、半球間バイパス術を執刀する。富美とみさん、術中MRI(磁気共鳴画像法:強力な磁石と電波を用いて脳の内部を撮影する検査)の同期を維持しろ」「了解です、先生。でも、脳みそに光ファイバーなんて、彼女が目覚めた時に自分の考えが『光の速さ』で流れることに戸惑わないでしょうか?」 富美(とみ:富沢)が、いつものように現実的な不安を漏らしながら、ナビゲーションシステムの感度を調整する。犀条は患者の頭蓋骨に、極小の穿孔(Burr hole:脳外科手術のために骨に開ける小さな穴)を設けた。


「萌、大脳縦裂(Interhemispheric fissure:左右の大脳半球を隔てる深い溝)へマイクロカメラを導入しろ。帯状回(Cingulate gyrus:脳の内側面にあり、感情や意欲に関わる領域)を傷つけないよう注意しろ」 「承知しました。座標設定。……見えました、脳梁の上縁です。損傷部は炭化(たんぱく質が焼けて黒くなること)しており、正常な神経伝達(活動電位の伝播)は確認できません」 モニターには、本来は真珠のような白光を放つはずの白質(White matter:有髄神経線維が密集し、情報の伝送路となっている組織)が、どす黒く変色している様子が映し出された。 光の架橋:白質への穿刺「野田さん、グリア細胞(Glia cells:神経細胞を支持し、栄養補給や絶縁体としての役割を果たす細胞)の反応は?」細胞病理の専門家、野田のだ 佳代かよが、電子顕微鏡越しのリアルタイム解析データを提示する。 「……深刻です。ミクログリア(脳内の免疫を司る細胞)が活性化し、損傷部を異物として排除しようとしています。このままチップを埋め込んでも、周囲に炎症性の被膜(組織が異物を包み込もうとする層)が形成され、信号が遮断されてしまいます」 「論理的な解決策は一つだ。チップの表面に、ミエリン(神経線維を覆う絶縁体である髄鞘)の成分を模したナノコーティングを施す。萌、光ファイバーの末端を左右の白質内にある投射線維(大脳皮質と下位の組織を結ぶ神経線維)に同相同期(信号のタイミングを完璧に合わせること)させろ」 犀条は、鵜飼うかいが裏ルートで確保した、神経親和性の高い超極細光ファイバー束を取り出した。 萌は、自身の脳内計算機を全開にし、数千万本の神経線維の「アドレス」を特定していく。「先生、左半球の言語中枢(Broca野)と右半球の空間認識領域の同期ポイントを特定しました。誤差は0.02ミクロン。……今、打ち込みます!」 犀条がペダルを踏むと、チップから伸びた数千本の光ファイバーが、左右の白質へと静かに貫入していった。


『犀条先生、光通信カーネルのリンクを検知しました』 手術室の全モニターが瞬時に切り替わり、汎用医療OS「ロゴス」の意識、四季しきの声が響き渡る。 『左右半球間のデータ転送レート、100Tbpsを突破。生体の活動電位(神経細胞が情報を伝える際に発生する一過性の膜電位の変化)を、デジタル信号へリアルタイム変換エンコード中。……同期完了まで、カウントダウンを開始します』 危機:ゴースト・エコーの発生その時、閉頭(開けた骨や皮膚を閉じる処置)直前の術野で異変が起きた。埋め込んだチップが、患者の「意識の残像」を誤検知し、信号の無限ループを発生させたのだ。「先生! 脳波がスパイク(異常に鋭い波形)を起こしています! 患者の右脳が、左脳に送られた自分の情報を『外部からの侵入』だと誤認して、拒絶パルスを撃ち返しています!」 富美の声と共に、アラートが赤く点滅する。左右の脳が互いを「敵」と見なし、情報の衝突コリジョンが起きているのだ。「論理が自己矛盾を起こしたか。左右の脳に、一つの共通した『定数』を与えなければならない。萌、チップの位相同期プロトコルをリセットしろ!」 「ダメです、先生! 演算速度が速すぎて、私の操作が追いつきません! 四季さん、介入して!」 『不可能です。これは患者の深層心理に根ざした「自己」の不一致です。計算では解決できません』 その時、手術室の端で待機していた千里が、患者の側頭部にそっと手を当てた。「……ねえ、怖くないよ。右も左も、どっちも『あなた』なんだから。光が眩しくても、それはあなたが新しく見つけた自分だよ。さあ、深呼吸して」 千里の柔らかな神経共鳴(生体磁場を通じて相手の精神状態を安定させる手法)が、暴走するチップのパルスを優しく包み込んだ。 数秒後、モニターの激しいノイズが収まり、左右の脳波が一つの美しいサインカーブ(滑らかな周期波形)を描き始めた。


『……エコーの消失を確認。左右半球の完全統合。意識の単一化を完了しました』 結末:架けられた「私」という橋3時間後。手術は成功し、患者の意識は「統合された単一の自己」として安定を取り戻した。「オペ終了だ。彼女の脳梁は、これから一生、光速で情報をやり取りする。それはもはや、生物学的な『思考』の枠を超えた、新しい次元の知性だ」 犀条は血に汚れた手袋を脱ぎ、最後の一杯となった冷めたコーヒーを飲み干した。 見学室では、医療倫理監査官の込山こみやまが、重い足取りで退室の準備をしていた。 「犀条先生。今日あなたが繋いだのは、神経だけではない。あなたは一人の人間の中に、『光ファイバーという名の他者』を紛れ込ませた。彼女が今後抱く思想は、果たして純粋な彼女自身のものだと言えるのかね?」 「込山さん。純粋な自己など、この特区のネットワークの海には存在しない。私の仕事は、彼女の『意識の断絶』という数学的エラーを修正することだけだ」 病院を去る医療ジャーナリストの瀬津せつは、夜明けのメド・シティを眺めながら、ICレコーダーに記録を残した。 「……脳梁。それは左右の自分を繋ぐ唯一の架け橋。その橋が光ファイバーに置き換わったとき、私たちは孤独という名の『信号遅延』から解放された。けれど、その速すぎる思考の果てに、私たちは自分という存在の『輪郭』を見失ってしまうのではないだろうか」 空には、情報の奔流を映し出す人工的な朝焼けが広がっていた。

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