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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第8章:濾過の断層(The Renal Filter) ―代謝廃棄物の増大と超小型透析ユニットの介入―


2051年、9月。東京都高度生命科学特区メド・シティは、秋の訪れを告げる人工的な「金木犀の香気」を換気システムから散布していた。しかし、その甘い香りの裏側では、人体の限界を超えた強化(拡張)の代償が、静かに、しかし確実に命を蝕んでいた。


午前0時12分。国立病院の地下搬送ドックに、リコリコ・メディックの最新鋭・磁気浮上式ストレッチャーが滑り込んだ。


「患者、30代男性。フリーランスの重機操縦士。全身の人工筋肉換装率75%。人工筋肉の駆動に伴う過剰な重合体廃棄物により、急性の尿毒症(Uremia / 腎機能不全により老廃物が血液中に蓄積し、全身に毒性を示す状態)を発症しています!」


多喜(たき:井ノ上たきな)が、タブレット端末に表示された異常な血清クレアチニン値(Serum creatinine / 筋肉の代謝産物であり、腎機能の指標となる数値)を犀条に突きつける。


「多喜、この人のバイタル、色が変だよ。ドロドロの紫色の雲が、血管の中で渦巻いてるみたい」


千里(ちさと:錦木千束)は、患者の浮腫(Edema / 組織に水分が異常に溜まり、腫れ上がった状態)が著しい顔面を覗き込み、非侵襲的な生体光計測(Biophotonics / 光を用いて生体内部の情報を得る技術)で、組織内の毒素濃度を視覚化していた。


「……当然だな。通常の肉体の8倍の出力を出す人工筋肉は、それに見合う8倍の廃棄物を排出する。人間という生物の設計図にある腎臓(Kidney / 血液を濾過し、尿を作る臓器)の処理能力では、最初から計算が合っていないんだ」


手術室の影から、犀条さいじょう 創平そうへいが姿を現した。右手には、いつものようにブラックコーヒーのカップが握られ、その蒸気が論理的な思考を加速させている。


「萌、この個体の糸球体濾過量(GFR:Glomerular Filtration Rate / 単位時間あたりに腎臓の糸球体で濾過される原尿の量)を算出しろ」


「先生、既にリアルタイム・シミュレーションを実行中です。現在のGFRは4mL/min以下。正常値の5%未満です。ネフロン(Nephron / 糸球体と尿細管からなる腎臓の構造と機能の最小単位)のほぼ全てが、合成廃棄物による物理的閉塞を起こしています」


西之園にしのぞの もえは、術野の3D図面を展開し、左右の腎臓に網目状に絡みつく血管ネットワークをレイヤーごとに分解していく。


「このままだと、あと30分で高カリウム血症(Hyperkalemia / 血中のカリウム濃度が異常に高まり、心停止を招く危険な状態)により、心臓の電気伝導系が崩壊します。論理的な介入が必要です」


「よし、オペを開始する。生体の腎機能を破棄するのではない。鵜飼から調達した超小型透析ユニット『ネフロン・ブースター』を腎門部に直結し、機械的に濾過を代行・強化する」


術野展開:後腹膜空間の深淵へ

第8手術室。患者は側臥位(Lateral decubitus position / 体を横向きに寝かせた状態)に固定され、犀条の手には、2051年製の高出力炭酸ガスレーザー(CO2 laser / 水分に吸収されやすく、出血を抑えながら精密な切開が可能なレーザー)が握られた。


「これより、後腹膜アプローチ(Retroperitoneal approach / 腹膜を通らず、背中側から臓器に到達する術式)による腎門部への介入を行う。富美とみさん、気腹圧(Pneumoperitoneum pressure / 手術空間を確保するために注入するガスの圧力)を一定に保て」


「はいはい、了解。先生、この患者さんの奥さん、まだ若いんですよ。機械のパーツを増やす前に、ちゃんと生きて返してくださいね」


富美(とみ:富沢)が、現実的な忠告を織り交ぜながら、手際よくモニターの数値を調整する。犀条は腰背部の皮膚をわずかに切開し、そこから内視鏡とレーザーを滑り込ませた。


「萌、下後鋸筋(Serratus posterior inferior muscle / 背中の深層にある、呼吸を助ける筋肉)と胸腰筋膜(Thoracolumbar fascia / 背筋を包む強靭な膜)の間を抜けろ。Gerota筋膜(Gerota's fascia / 腎臓とその周囲の脂肪を包む結合組織の膜)に到達するぞ」


「了解です。先生、座標を同期しました。脂肪層を透過表示します。……見えました、左の腎静脈(Renal vein)と腎動脈(Renal artery)の分岐点です」


モニターには、脂肪の中に沈んだ、暗赤色の臓器が映し出された。しかし、その表面は老廃物の蓄積により不自然に硬化し、まるで大理石のような光沢を放っていた。


微小世界の濾過:糸球体の代行

「野田さん、ミクロ解析を」


細胞病理のスペシャリスト、野田のだ 佳代かよが、電子顕微鏡のデジタル解析結果を提示する。


「……無残です。糸球体(Glomerulus / 毛細血管が球状に集まった濾過装置)を包むBowman嚢(Bowman's capsule / 糸球体を包み、原尿を受け取る袋)が、合成高分子のおりで満たされています。足細胞(Podocyte / 糸球体毛細血管を覆い、濾過の最終障壁となる細胞)が剥離し、タンパク質が垂れ流し状態です」


「論理的な再構築を行う。ネフロン・ブースター、展開」


犀条は、鵜飼うかいが裏社会のネットワークを駆使して調達した、ナノ多孔質グラフェン(Nanoporous graphene / 炭素原子が平面的に結合した、超極薄かつ高強度の濾過膜)搭載のデバイスを取り出した。これは、生体の糸球体が行っている限外濾過(Ultrafiltration / 圧力差を利用して、小さな分子のみを透過させる現象)を、機械的なナノポンプで数万倍に強化するものだ。


「腎動脈から直接血流を分岐シャントさせ、デバイスに導入する。萌、分岐部の流体トルク(Fluid torque / 流体が血管壁に与える回転力)を計算しろ。乱流(Turbulence)による溶血(Hemolysis / 赤血球が破壊される現象)は許されない」


「計算完了。接合角度22.8度。血液の粘性係数(Viscosity coefficient)の変動を考慮した動的なバルブ制御を行います……。はい、接続を開始します!」


萌の精密な誘導に従い、犀条の運針が始まった。10-0の単繊維縫合糸(Monofilament suture / 細く表面が滑らかな、組織を傷つけにくい糸)が、生体の血管とチタン製のマイクロコネクタを繋ぎ合わせていく。


『犀条先生、接続を感知しました』


手術室に汎用医療OSロゴスの意識、四季しきの声が流れる。


『ネフロン・ブースターの論理核を起動。血漿(Plasma / 血液から血球成分を除いた液体成分)の分析を開始します。……重金属、合成ポリマー、過剰な尿素窒素(BUN)を検知。ナノフィルターによる強制排出シーケンスを稼働させます』


危機:カリウムの反乱

その時、閉腹直前の術野でアラートが赤く点滅した。


「先生、血清カリウム値が急上昇! 細胞内に蓄積していたカリウムが、濾過の急激な開始に伴う細胞内外の浸透圧変化(Osmotic shift)で一気に血液中に漏れ出しました!」


富美が叫ぶ。モニターの心電図が、尖ったT波(Tented T-wave / 高カリウム血症で見られる特徴的な波形)を描き、脈拍が不安定に乱れ始めた。


「まずい、心室頻拍(Ventricular tachycardia / 心室が異常に速いリズムで収縮し、血液を送り出せなくなる状態)に移行するぞ!」


犀条が手を止める。機械の濾過速度が速すぎて、生体のイオンバランスが追いついていないのだ。


「先生、私がやる! 多喜、心臓のインプラントに直接パルスを送るよ!」


千里が患者の胸部に手をかざす。彼女は自分の特殊な神経接続を介して、患者の心臓の洞房結節(Sinoatrial node / 心臓の自然なペースメーカー)の代わりに、正しいリズムの電気信号を脳幹へ「共鳴」させた。


「……落ち着いて。ゆっくり、私と同じリズムで打って。ほら、1、2……1、2……」


千里の柔らかな誘導パルスが、暴走する電気信号をなだめていく。その隙に、萌がデバイスの濾過圧力を微調整した。


『……イオン濃度の急激な変動を抑制。緩衝作用(Buffering action / 酸やアルカリによる変化を和らげる働き)を最大化します。心拍数、正常化』


結末:濾過される明日

3時間後。患者の血液は浄化され、尿管(Ureter / 腎臓から膀胱へ尿を送る管)からは、機械によって濃縮された廃棄物が排出され始めていた。


「オペ終了だ。彼の背中には、これから一生、ネフロン・ブースターという名の『第3の腎臓』が居座ることになる」


犀条は血に汚れたガウンを脱ぎ、最後の一口の冷めたコーヒーを飲み干した。


見学室では、医療倫理監査官の込山こみやまが、無機質な報告書をタブレットに打ち込んでいた。


「犀条先生。今日彼が手に入れたのは、健康ではありません。『機械による管理』です。彼はもう、この特区のメンテナンス・システムなしでは、一晩も生きられない。これは果たして、私たちが守るべき『生命』の姿なのでしょうか?」


「込山さん。生命の定義など、数式には必要ない。私が計算したのは、彼が死なないために必要な、ナノフィルターの表面積だけだ」


病院を去る瀬津せつは、夜明けのメド・シティのビル群を見上げた。高度に発達した都市の地下では、下水処理施設が膨大な廃棄物を濾過し続けている。


「……腎臓。それは、私たちの体内の『浄化槽』。けれど、そこに機械の断層が生まれたとき、人間は自分たちの汚濁さえも、機械に丸投げしてしまったのかもしれない」


彼女はICレコーダーを止め、冷たい秋の空気を深く吸い込んだ。その空気さえも、ドームのフィルターによって完璧に管理(濾過)されたものだった。

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