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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第6章:胃壁のセンサー(Gastric Sensor) ―栄養吸収の最適化と粘膜再生の不確定性―


2051年、7月。東京都高度生命科学特区メド・シティの空は、人工的な雲によって完璧な「曇天」を維持していた。この街では、天候さえも市民のストレス指数を制御するための変数に過ぎない。

午前1時15分。特区国立病院の搬送ドックに、リコリコ・メディックの高速救急艇が緊急着陸した。

「患者、20代男性。特殊警備職。全身の人工筋肉(Synthetic muscle:生体の筋肉を模した高出力の駆動装置)のエネルギー消費率が、生体の代謝容量(Metabolic capacity:生体がエネルギーを生成・消費する能力の限界)を大幅に超過。重度の低栄養状態(Malnutrition:生体維持に必要な栄養素が不足している状態)と、それに伴う多臓器不全(Multiple organ failure:複数の重要臓器の機能が同時に、あるいは連鎖的に低下する重篤な状態)の兆候があります!」

多喜(たき:井ノ上たきな)が、ホログラムパネルに表示された複雑な代謝グラフを指し示しながら報告する。

「多喜、この人、食べても食べても『中身』が空っぽになっちゃってるんだね。まるでもう一つのブラックホールをお腹に飼ってるみたい」

千里(ちさと:錦木千束)は、患者の腹部に超音波内視鏡(EUS:先端に超音波振動子を備えた内視鏡で、消化管壁の層構造を詳細に観察する装置)のプローブを当て、透過画像を確認しながら呟いた。

「バカなことを言わないで、千里。彼は単に、生体側の『吸収効率』が機械側の『要求量』に追いついていないだけよ。論理的な不整合の結果だわ」


術前解析:化学工場の機能不全

第6手術室。犀条さいじょう 創平そうへいは、いつものようにホログラムのセブンスターを「燻らせ」ながら、患者の胃粘膜(Gastric mucosa:胃の内面を覆う、粘液を分泌し吸収を行う組織層)のスキャンデータを見つめていた。

「萌、この患者の基礎代謝量(Basal metabolic rate:生命維持のために最低限必要なエネルギー消費量)は通常の何倍だ?」

「先生、驚くべきことに8.5倍です。通常の食事(摂食)では、小腸(Small intestine)に届く前にエネルギーが枯渇します。胃での初期分解プロセスを最適化し、ナノセンサーによって栄養素の拡散効率(Diffusion efficiency:物質が濃度の高い方から低い方へ広がる速度)を機械的に制御する必要があります」

西之園にしのぞの もえは、術野の3D図面を分解し、胃の壁を構成する4つの層――粘膜層(Mucosa)、粘膜下層(Submucosa)、固有筋層(Muscularis propria)、漿膜(Serosa)をレイヤーごとに色分けして表示した。

「現在の論理では、胃は単なる貯留槽タンクに過ぎない。だが、これを『動的なエネルギー変換炉』に作り変える。鵜飼うかいが調達した『ガストリック・インテリジェンス・センサー』を、胃壁の固有胃腺(Fundic glands:胃底や胃体に存在し、胃液を分泌する主要な腺)の隙間に埋め込むぞ」


術野展開:胃小窩の深淵へ

今回のオペは、開腹を伴わないESD(Endoscopic Submucosal Dissection:内視鏡的粘膜下層剥離術。内視鏡を使って胃の粘膜下層を剥離し、処置を行う術式)を応用した、超高精度ハイブリッド手術である。

富美とみさん、炭酸ガス送気(CO2 insufflation:術野を広げるために、吸収の早い二酸化炭素を体腔内に送り込むこと)を開始。胃底(Fundus:胃の上部にある膨らんだ部分)の展開を優先しろ」

「了解です。先生、あんまりお腹を膨らませすぎないでくださいね。患者さんの横隔膜(Diaphragm:胸腔と腹腔を隔てる、呼吸を司る平らな筋肉)を圧迫して、呼吸が苦しくなりますから」

富美(とみ:富沢)が手際よくモニターの数値を調整する。 犀条は、最新型のマルチアーム内視鏡を患者の食道(Esophagus)から噴門(Cardia:食道と胃の接合部)を通過させ、胃内へと進めた。

モニターに映し出されたのは、無数の胃小窩(Gastric pits:胃の表面にある微細な凹みで、胃腺の出口となる場所)が並ぶ、赤いベルベットのような風景だった。

「見てください、先生。主細胞(Chief cells:ペプシノーゲンという消化酵素の元を分泌する細胞)と傍細胞(Parietal cells:塩酸を分泌し、胃内を強酸性に保つ細胞)の活動が、低栄養によるフィードバック阻害(Feedback inhibition:生成物が増えすぎると、その生成過程が抑制される調節機構)で極端に低下しています」

萌が、センサーから送られてくるpH(ピーエイチ:水素イオン指数)値を分析して指摘する。

「ああ。だからこそ、この粘膜下層(Submucosa:粘膜の下にある、血管や神経が豊富な結合組織の層)に直接センサーを打ち込み、自律神経を介さずに分泌と吸収を強制制御するんだ」


センサーインプラント:再生サイクルとの闘い

犀条は、内視鏡の先端から極細の高周波ナイフ(Electrosurgical knife)を出し、粘膜の表面にわずかな切れ目を入れた。そこへ、鵜飼うかいが提供したナノサイズのセンサーチップを滑り込ませていく。

「野田さん、定着のシミュレーションを」

細胞病理のスペシャリスト、野田のだ 佳代かよが、電子顕微鏡のデジタル画像を解析する。

「……懸念事項があります。胃の表面を覆う被蓋上皮細胞(Surface mucous cells)の再生サイクル(Regeneration cycle)は非常に早く、3日から5日で新しい細胞に入れ替わります。センサーを浅い位置に置くと、数日後には『あか』として胃液の中に脱落シェディングしてしまいます」

「論理的な指摘だ。だが、このセンサーにはアンカー・ナノフック(Anchor nano-hook)が備わっている。萌、フックを粘膜筋板(Muscularis mucosae:粘膜層の最下部にある薄い筋肉の層)に固定しろ。ここなら再生サイクルの影響を受けない」

「了解! 格子の座標を固定。浸透圧(Osmotic pressure:半透膜を介して水分が移動しようとする圧力)の変動を計算し、フックの貫入深度を0.1ミクロン単位で微調整します……。はい、ロック完了!」

萌の精密な操作により、数百個のセンサーが胃壁の深層へと完璧な幾何学模様で配置された。


危機:酸の叛乱アシッド・リベリオン

その時、術野で異変が起きた。埋め込まれたセンサーが、周囲の傍細胞(Parietal cells)を誤刺激し、猛烈な勢いで胃酸(Gastric acid)が噴出し始めたのだ。

「先生、pHが1.2まで急降下! 胃壁が自分の酸で溶ける自己消化(Autodigestion:消化液が自分自身の組織を分解してしまう現象)が始まります!」

富美が叫ぶ。モニター内の胃粘膜が、酸の熱で白く変色(凝固変性)し始めていた。

『犀条先生、状況を把握しました』

手術室の全スピーカーから、四季しきの冷徹な声が流れる。

『センサーチップの論理回路が、患者のガストリン(Gastrin:胃酸分泌を強力に促進するホルモン)濃度と異常共鳴を起こしています。OS側で強制介入し、分泌を抑制しますか?』

「いや、四季。抑制ブレーキをかけるな。逆に重炭酸イオン(Bicarbonate ion:酸を中和するために分泌されるアルカリ性の物質)の分泌出力を最大化しろ。酸を『止める』のではなく、中和による『化学反応の熱』を、エネルギーとしてセンサーの起動電力に転換するんだ!」

「先生、それはあまりに非線形な計算です……でも、やってみます!」

萌がキーを叩く。胃粘膜にある副細胞(Mucous neck cells:粘液と重炭酸イオンを分泌し、胃壁を保護する細胞)へのパルスが強化され、酸とアルカリの激しい中和反応が術野で渦巻いた。

数秒後、白濁していた粘膜の表面が落ち着きを取り戻した。センサーのインジケーターが、中和反応で得た電力によって青く輝き始める。

「……起動成功。これでこの胃は、食べた物をただ溶かす場所ではなく、自ら電力を生み出し、吸収をブーストする『高効率リアクター』になった」


結末:飢えなき肉体の孤独

3時間後。リカバリールームで、患者のバイタルは驚異的な安定を見せていた。

「千里、見て。この人、眠りながら笑ってるみたい」

多喜がモニターを見ながら、千里に語りかける。

「きっと、生まれて初めて『本当にお腹がいっぱいになる感覚』を、機械越しに味わってるのかもね。……でも、それって少しだけ寂しい気もするかな」

千里は、空になったゼリー飲料の容器を弄びながら、窓の外の人工的な夜景を見つめた。

一方、病院のカフェテリア。

込山こみやまさん。今日のオペで、あの男性の胃は『内臓』から『内燃機関』に変わった。彼はもう、空腹という名の生物学的な『痛み』を感じることはない。これは進化でしょうか、それとも退化でしょうか?」

医療ジャーナリストの瀬津せつが、監査官の込山に問いかけた。

「……私にわかるのは、彼がこれから食べる食事は、味を楽しむためのものではなく、単なる『燃料補給』という演算作業になるということだ。犀条は命を救ったが、同時に『食事』という名の人間らしい営みを、彼から奪ったのかもしれんよ」

込山は、25年前から使い続けている古い万年筆で、手帳に「機能最適化。ただし、QOL(生活の質)の定義に疑義あり」と記した。

2051年の東京。ドームの下で、新しく改造された胃壁を持つ男が、目覚めの時を待っている。彼の体内で、銀色のナノセンサーが、静かに、しかし確実に「栄養」という名の情報を刻み始めていた。


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