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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第2章:深紅の冷却系(Red Cooling) ―高出力義体における熱力学的介入―


京都高度生命科学特区メド・シティの夜は、物理的な暗闇をネオンのスペクトルが侵食し、境界を曖昧にさせている。午前2時45分。国立病院の救急外来(ER)に、凄まじい排熱を撒き散らしながら「リコリコ・メディック」の特殊装甲救急車が滑り込んだ。

「どいてどいて! 患者が沸騰しちゃうよ!」

千里ちさとの叫び声と共に、ストレッチャーが跳ねるように降ろされる。その上に横たわるのは、全身の60%以上を人工筋肉に換装した重義体化フル・コンバージョンの警備員だった。

「患者、意識消失。核心体温(Core temperature:生体深部の内臓や脳の温度)、42.8度を突破。高出力モードでの戦闘継続による熱暴走(Thermal runaway:過剰な熱発生がさらなる発熱を呼び、制御不能になる現象)です!」

多喜たきが冷却ジェルのスプレーを噴射しながら、デバイスの数値を読み上げる。患者の皮膚からは、生体組織が焼けるような異様な臭いと、人工血液の揮発(Evaporation:液体が気体へと変化すること)した蒸気が立ち上っていた。

「多喜、バイタルデータの同期、急いで! 先生たちが待ってる!」

「わかってます! 心電図(ECG)、血中酸素飽和度(SpO2:血液中のヘモグロビンが酸素と結合している割合)、共に危険域クリティカル!」

二人は、重厚な自動ドアを突破し、犀条さいじょう 創平そうへいの待つ第2手術室へと駆け込んだ。


術前解析:エントロピーの暴力

手術室の中央、犀条はブラックコーヒーのカップを片手に、患者の全身スキャンデータをホログラムで眺めていた。

「熱力学第二法則を無視するような真似をするからこうなる。萌、この個体の比熱(Specific heat:物質1gの温度を1度上げるのに必要な熱量)の計算は終わったか?」

「先生、もう終わってます。現在の排熱効率では、あと7分以内に脳タンパク質(Brain protein)が熱変性(Denaturation:加熱によりタンパク質の立体構造が崩れ、機能を失うこと)を起こし、完全な脳死に至ります。幾何学的に美しい回路も、焼ければただの炭素の塊ですね」

西之園にしのぞの もえは、術野のシミュレーションを指先で操作しながら、犀条の「論理」に同期する。

「よし。生体組織が炭化する前に、血液冷却デバイス(Blood cooling device)を直接介入バイパスさせる。内頚静脈(Internal jugular vein:脳からの静脈血を集めて心臓へ運ぶ、頚部の太い静脈)にヒートシンクを直結するぞ」

術野展開:頚部の深層へ

富美とみが、2051年最新型の超音波メス(Ultrasonic scalpel:高周波振動で組織を切開し、同時に止血を行う器具)を犀条に手渡す。

「犀条先生、また無茶な数値を要求しないでくださいね。患者さんの血管、熱で脆くなってますから」

「わかっている。萌、頚動脈鞘(Carotid sheath:総頚動脈、内頚静脈、迷走神経を包む筋膜の鞘)の展開を手伝え」

犀条の執刀が始まった。頚部の皮膚がミリ単位の精度で切開される。広頚筋(Platysma muscle:首の表面を覆う薄い皮筋)を分け、胸鎖乳突筋(Sternocleidomastoid muscle:首を斜めに走る太い筋肉)の深層へと進む。

「見えました、先生。総頚動脈(Common carotid artery:頭部に血液を送る主幹動脈)の外側に、怒張どちょうした内頚静脈があります」

萌の指示通り、熱によって膨れ上がった青紫色の静脈が姿を現した。

「野田さん、界面の状態は?」

手術室の隅、電子顕微鏡モニターを見つめる野田のだ 佳代かよが静かに答える。

「……血管の内皮細胞(Endothelial cells:血管の最内層を覆い、物質交換や血流調節を担う細胞群)が悲鳴を上げています。熱による炎症性サイトカイン(Inflammatory cytokine:細胞間で情報を伝達し、炎症反応を促進するタンパク質)が大量に放出され、浮腫(Edema:組織に水分が溜まり、腫れ上がること)が進行中です。急がないと、血管がボロボロに崩れます」

冷却系介入:熱交換の物理学

犀条は、鵜飼うかいが裏ルートから取り寄せた「超小型ペルチェ型ヒートシンク」を取り出した。これは、ペルチェ素子(Peltier element:電流を流すと熱を一方から他方へ移動させる半導体)を用いた、極微の熱交換器だ。

「内頚静脈をクランプする。血流遮断(Vascular occlusion)、開始」

「はい、先生。遮断開始から30秒以内に接続しないと、脳への還流(Reflux:血液が戻ること)が滞り、脳圧(Intracranial pressure:頭蓋骨内部の圧力)が急上昇します」

萌がストップウォッチを見ずとも、頭の中のクロックで秒を刻む。犀条の指が動く。内頚静脈に小さな穴を穿ち、ヒートシンクのチタン製コネクタを挿入する。

「吻合(Anastomosis:血管同士を繋ぎ合わせること)、完了。冷却システム、起動」

富美がスイッチを入れると、デバイスがかすかな振動を始めた。患者の脳から戻ってくる43度の血液が、ヒートシンクを通過することで瞬時に35度まで冷却され、心臓へと戻っていく。

「熱力学的平衡(Thermodynamic equilibrium)を確認。核心体温、下降開始。41.5度……40.2度……38.5度」

萌の声に、手術室に安堵の空気が流れる。しかし、犀条の表情は険しいままだった。

「……まだだ。この患者の義体、人工筋肉(Synthetic muscle)の出力制限がハッキングで解除されている。冷却を始めると、システムが不足した熱を補おうとして、さらに出力を上げようとする。これは『生存本能』のバグだ」

危機:生体と機械のフィードバック・ループ

突然、モニターの波形が乱れた。患者の全身が、強直性痙攣(Tonic convulsion:筋肉が持続的に収縮し、体が硬直する発作)を起こしたように跳ね上がった。

「先生! 人工筋肉のミオシン・アクチュエーター(Myosin actuator:筋肉の収縮を模した駆動装置)が異常放電を開始! 再発熱が冷却速度を上回ります!」

多喜が慌ててストレッチャーを押さえつける。千里が患者の頭部に手を置き、神経インターフェースを介して意識の深層に語りかける。

「落ち着いて! あなたはもう戦わなくていいんだよ。機械の声を無視して、自分の鼓動リズムを思い出して!」

千里の感応能力(Empathic connection)が、暴走するチップの信号に干渉する。その隙を見逃さず、犀条が叫んだ。

「萌! 星状神経節(Stellate ganglion:頚部にある、交感神経の集まり)にブロック注射(Nerve block:神経の伝達を一時的に遮断し、痛みや反応を抑える処置)を打て! 強制的に交感神経をシャットダウンさせる!」

「わかってます! 迷走神経(Vagus nerve:内臓の働きを調節する、主要な副交感神経)を傷つけないように……ここです!」

萌が迷いなく針を刺入し、強力なナノ抑制剤を注入した。 数秒後、患者の激しい震えが収まり、排熱を示す赤い警告灯が消えた。


結末:境界線上の平穏

「核心体温、36.8度。安定しました」

富美が深くため息をつき、汗を拭う。

「犀条先生、今の処置は論理的というより……博打に近いですよ」

「博打ではない。不確定要素(千里の干渉)を計算に組み入れただけだ。萌、後片付け(デブリードマン)を任せる。私はコーヒーを淹れ直してくる」

犀条は、血に汚れた手袋を脱ぎ捨て、足早に手術室を後にした。

見学室のガラス越しに、医療倫理監査官の込山こみやまがその様子をじっと見つめていた。隣でジャーナリストの瀬津せつが、ICレコーダーに囁く。

「……今日、一人の男が救われた。けれど、彼の体内には一生、機械の冷却器ヒートシンクが残り続ける。彼はこれから、自分の血が冷たくなっていく感覚と共に生きていくのね」

「瀬津さん。彼が救ったのは『命』か、それとも『高価な機械』か。その答えは、法の手帳には載っていないんだよ」

込山はそう言い残し、暗い廊下へと消えていった。

夜明け前の東京。冷えたアスファルトの上を、再びリコリコ・メディックの車両が走り去っていく。


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