第10章:床下の数百万YAMATO
源三の邸宅を包む琥珀色の静寂は、晩餐が終わると同時に、より濃密で刺すような緊張感へと変貌した。高級バーボンの芳醇な香りは、いまや死を待つ生け贄に捧げられる香油のように、凱の鼻腔を不快に刺激している。
「……さて、源三さん。そろそろ『本題』に入らせてもらってもいいかな」
志藤がグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。その動作一つに、獲物を追い詰める狼の冷徹な計算が宿っている。志藤のチームメンバーである加瀬、佐野、上田の三人も、それまで見せていた弛緩した態度を一変させ、部屋の出口を塞ぐように配置を変えた。凱の脳内で脈動するナノマシン「ブルー・ゴースト」が、彼らの筋肉が戦闘態勢に入ったことを示す微細な熱変化を検知していた。
源三はリクライニングチェアに深く沈み込んだまま、動じずに志藤を見つめ返した。「急ぐな、志藤。友情の余韻を味わう時間は、もうこの街には残っていないのか?」
「ロシアの連中が提示した期限は、夜明けまでだ。俺の首が飛ぶか、それともこの街の『血』を少し分けてもらうか。答えは決まっているはずだ」
志藤はそう言うと、キッチンの床に敷かれた、使い込まれたペルシャ絨毯を土足で蹴り上げた。その下から現れたのは、強化コンクリートの床に埋め込まれた、軍事グレードの電子ロック付きハッチだった。
「日向、見ろ。これがこの街の『真の再建計画』の全容だ」
志藤が源三から事前に奪っていた、あるいはかつて預けられていたマスターキーを差し込むと、ハッチが重厚な金属音を立てて開いた。
凱は、その中身を見て息を呑んだ。
ハッチの奥には、特殊な電磁シールドで保護されたラックが整然と並び、その中に数千個に及ぶハードウェア・ウォレット――デジタル通貨「YAMATO」の物理キーが収められていた 。それらは微かな青い光を放ちながら、まるで都市を動かす心臓の鼓動のように明滅している。
「これだけの額があれば、瓦礫の山を丸ごと金に変えられるな」加瀬が卑俗な笑みを浮かべ、キーの一つを手に取った。
「志藤さん、これは……復興庁が発行した『東京復興債』や、海外からの支援金のはずです 。なぜ、源三さんの床下にこんなものが隠されているんですか?」
+1
凱の問いに、志藤は冷笑で答えた。
「『記憶の川』から溢れ落ちた、名もなき金だよ、日向 。三賢者が帳簿上で消去し、源三が『銀行家』として洗浄にするのを待っていた、天文学的な額の横領資産だ 。これがなければ、大和の維持費も、お前の家族に配給される合成肉の代金も支払われない」
+3
源三は、自分の心臓を抉り出されたかのような光景を、ただ静かに見つめていた。その瞳には、かつての部下であった志藤への深い失望と、逃れられない運命への悟りが混在していた。
「志藤よ……。それを持ち出せば、お前はもう二度と『狼』には戻れない。ただの『捕食者』として、システムに食われるだけの存在になるぞ」
「俺は最初から、システムを動かすための『汚れた部品』だ 。源三さん、あんたが教えてくれたんだろう? ストリートで生き残るには、自ら深淵に飛び込むしかないとな 」
+2
志藤は、数百万YAMATOが詰まったバッグをチームに持たせると、最後の一つ、最も輝きが強いマスターキーを自分のジャケットの内ポケットに収めた 。
凱は、目の前の現実が信じられなかった。自分が守ろうとしていた復興の象徴「大和」や「三賢者」は、この汚れた床下の財産によって維持されていたのだ。正義感という名の羊の皮が、ナノマシンの熱と、志藤の歪んだ論理によって、完全に焼き切られていくのを感じていた。
「さあ、日向。判決の時間だ」
志藤が、ホルスターから二挺のシルバー・スミス&ウェッソンを引き抜いた 。その銃口は、もはや源三ではなく、この世界の不条理そのものを狙っているかのようだった。
戦艦大和が流す「希望の歌」が、地上の絶望を覆い隠すように、夜の空気に響き渡っている。だが、この地下シェルターに届くのは、冷酷な金属音と、引き返せない道を選んだ男たちの荒い吐息だけだった。




