第8章:屋上の猟犬たち
中央除染ドームの「偽物の春」を後にした志藤のモンテカルロは、さらに深く、再建という名の暴力が吹き荒れる中央区の心臓部へと突き進んでいた。脳内のナノマシン「ブルー・ゴースト」がもたらす過剰な覚醒状態のせいで、凱の視界には街の輪郭が歪んで見えていた。網膜に焼き付くのは、かつてのビル群を支柱にして増殖する空中回廊の冷たい光と、その影に潜む、除染から見捨てられた人々の熱源反応だ。
車が停まったのは、半分が真新しい強化コンクリートで覆われ、もう半分が爆撃の爪痕を晒している「再建優先ビル」の地下駐車場だった。
「降りろ。チームの連中を紹介してやる。お前と同じ、この街の『歯車』たちだ」
志藤はそう吐き捨てると、エレベーターのボタンを乱暴に叩いた。屋上へと向かう間、沈黙が凱の肺を圧迫した。志藤という男一人の狂気と対峙するだけでも限界だったが、これから会うのはその狂気を組織として共有している者たちなのだ。
屋上に出た瞬間、強烈な酸性雨の混じった風が凱の頬を打った。
そこには、再建中の東京を一望できる、この世の果てのような特等席が広がっていた。
(高層ビルの屋上で、数人の男たちが紫煙を燻らせている。彼らは復興執行官のバッジを胸に付けながらも、その風貌は獲物を狙うギャングと見分けがつかない。背景には、空中回廊の青いグリッドが走る東京のスカイラインが広がり、瓦礫とサイバーテクノロジーが不気味に融合している)
「おせえぞ、志藤。三賢者の爺さんたちとの茶飲み話が長引いたか?」
声をかけたのは、首元に不吉な幾何学模様のタトゥーを刻んだ男、加瀬だった。彼は復興庁から支給されたはずの標準装備ではなく、海外製の高価な特殊工作用ジャケットを羽織り、手首には押収品であろう金無垢の高級腕時計をこれ見よがしに光らせていた。
「新しい『飼い犬』を教育してたんでね。日向、こいつらは加瀬、佐野、そして上田だ。俺の腕足(手足)となって、この街のバグを掃除している」
佐野と呼ばれた男は、コンクリートの縁に腰掛け、双眼鏡で地上のセクターを観察しながら冷笑を浮かべた。
「新人か。まだ目が羊のままだな。……なあ、さっきの空中回廊の『事故』、聞いたぜ。ドローンが勝手に火を噴いて、物流主任が墜落したんだって? おかげで俺たちの口座に、臨時ボーナスの『YAMATO』が振り込まれた」
凱は吐き気を覚えた。彼らは、さっき目の前で起きた凄惨な死を、ただの「利益確定」として片付けていた。
「……あれは、正当な執行だったんですか」
凱が絞り出した言葉に、それまで黙って煙草を吸っていた大柄な男、上田が歩み寄ってきた。彼は凱の胸ぐらを掴み、屋上の縁へと引きずっていった。
「正当? お前、寝ぼけてるのか。この街で正義を語りたければ、大和の甲板まで泳いで行け。ここでは『俺たちが生き残ること』が唯一の法だ。俺たちの年金、シェルターの維持費、家族の安全……それらはすべて、この瓦礫の中から俺たちが自分の手で掴み取ったものだ」
上田は凱を突き放し、地面に唾を吐いた。
「お前だって、家族のためにこの仕事を選んだんだろう? 綺麗事で腹は膨らまない。志藤さんに感謝しろ。お前を『狼の群れ』に入れてくれたんだからな」
チームのメンバーたちは皆、冷笑的で、倫理観が完全に麻痺していた。長年の過酷な任務、正義が報われない現実、そして三賢者という腐敗したトップ。彼らは生き残るために、自らシステムを食らう寄生虫になることを選んだのだ。
志藤は彼らの会話を背中で聞きながら、遠く東京湾に浮かぶ戦艦大和を見つめていた。大和が放つサーチライトが、周期的に雲を切り裂いている。
「日向、見ろ。あの光の下にいる連中は、自分たちが安全な場所にいると信じている。だが、あの光を維持するためのバッテリーは、俺たちがこうして汚れた手を突っ込んで、地上の泥の中から掘り出しているんだ」
志藤は凱に近づき、その耳元で囁いた。
「お前も、いずれこうなる。高級な時計を付け、家族を安全なドーム内に住まわせ、そして何食わぬ顔で『事故』の報告書を書く。それが、この街で生きるための『レジリエンス』だ」
凱の脳内で、ブルー・ゴーストのパルスが激しく火花を散らした。
網膜に投影されるデータには、加瀬たちが所持しているデジタル通貨「YAMATO」の膨大な残高が、血のように赤い数字となって浮遊していた。それはすべて、誰かの未来を奪い、システムの綻びから掠め取ったものだ。
「……私は、あなたたちのようにはならない」
凱の弱々しい反論に、屋上の男たちは一斉に爆笑した。その笑い声は、風に流されて瓦礫の谷底へと消えていった。
「いい度胸だ、日向。……だが、夜はまだこれからだ。次は、俺たちの『メインバンク』を紹介してやる。この街の影の支配者、源三のじいさんのところへ行くぞ」
志藤はそう言うと、吸い殻を屋上から捨て、凱の肩を力強く叩いた。
凱は、自分がすでに引き返せない場所まで来ていることを悟っていた。屋上から見下ろす東京は、かつての美しさを失い、ただ飢えた狼たちが徘徊する灰色のジャングルへと変貌していた。
戦艦大和から流れる「希望の歌」が、風に乗って微かに聞こえてくる。
だが、そのメロディは、もはや凱の耳には、絶望を覆い隠すための不快なホワイトノイズにしか聞こえなかった。
凱は重い足取りで、志藤と「猟犬たち」の後に続いた。
正義感という名の羊の皮が、ナノマシンの熱と、男たちの嘲笑によって、一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。




