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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン27

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第3章:砂上のサプライチェーン


亀裂の走ったアスファルトの隙間から、枯れた灌木が執拗に顔を覗かせている。かつて「大陸横断ハイウェイ」と呼ばれ、一日に数万台のトラックが分刻みのスケジュールで駆け抜けていた物流の動脈は、今や見る影もない。


リアム・ケインは、愛馬「サイレン」の背に揺られながら、その死に絶えた大動脈の上を北へと進んでいた。蹄が乾いた路面を叩くリズムだけが、この静寂を支配している。


「……かつては、ここを二十四時間で荷物が通り過ぎていたんだな」


リアムは独り言を漏らし、鞍の脇に吊るした水筒を手に取った。中身はぬるく、鉄の味がする。かつての文明が誇った「ジャスト・イン・タイム」という魔法――必要なものを、必要な時に、必要な量だけ届けるという精緻な歯車は、太陽フレアというたった一度の「脱線」で粉々に砕け散った。在庫を持たず、効率のみを追求した都市メガシティは、物流が止まった三日後には飢え始め、一週間後には暴動の炎に包まれた。


今の世界に「効率」という言葉は存在しない。あるのは「摩擦」と「距離」だけだ。


『リアム、三キロ前方のジャンクション跡に、古い配送センターの廃墟があるはずだ。そこで一晩待機しろ』


耳元のレシーバーから、アーサーの声が聞こえてくる。ノイズ混じりではあるが、その落ち着き払ったトーンは変わらない。


「配送センターだと? あんな場所、略奪者スカベンジャーの巣窟だ。野宿の方がまだマシだ」


『いや、そこには我々が事前に配置した「デポ」がある。地下の耐火金庫の中に、乾燥食料と清潔な水、それから次の目的地へのルートを記した物理的な地図を隠してある。……それから、レオが描いた絵もな』


「……絵だと?」


『昨日、学校の授業で描いたらしい。「砂漠の騎士」だそうだ。お前のことだと思って、スキャンしてアナログ信号で送っておいた。次の通信パスで受け取れ』


リアムは苦笑した。アーサーという男は、冷酷な戦略家であると同時に、こうした「家族の断片」をエサとして現場に放り込む狡猾さを持ち合わせている。彼にとって、リアムの忠誠心を維持するためのコストなど、シリアルの箱を開ける手間と大差ないのだろう。


一時間後、リアムは指定された配送センターに到着した。かつては世界最大のECサイトのロゴが誇らしげに掲げられていたであろう巨大な倉庫は、今や巨大なクジラの骨のように、鉄骨を剥き出しにして横たわっている。


倉庫の内部は、異様な静寂に包まれていた。かつて、自動化されたロボットたちが整然と走り回っていた床には、焼け焦げた基板と、中身を奪い尽くされた段ボールの残骸が雪のように積もっている。リアムは馬を建物の影に繋ぎ、バールを手に地下へ続く階段を降りた。


アーサーが言った通り、頑丈な金庫の中に「デポ」は存在していた。埃を被った金属の箱を開けると、そこには数週間分の保存食と、銀色のパウチに入った水があった。そして、その底に、荒い感熱紙にプリントされた一枚の絵があった。


クレヨンで描かれた、馬に乗る男の絵。背景には、異様に大きく真っ赤な太陽が描かれている。


「……砂漠の騎士、か」


リアムはそれを丁寧に畳み、胸ポケットのノートの隣に仕舞った。その時、頭上の地上階から、微かな「音」が聞こえた。


蹄の音ではない。もっと重く、不規則な、金属が擦れる音だ。


リアムは反射的に腰の銃に手をかけ、気配を消して地上へと戻った。倉庫の入り口付近に、一台の奇妙な車両が停まっている。それは、古い軍用ジープのエンジンを、石炭や木材を燃やす「木炭ガス発生装置」で動くように改造した代物だった。黒い煙を吐き出すその機械的な化け物は、今の荒野における「技術」の限界を示していた。


車両から降りてきたのは、ボロを纏った三人の男たちだった。彼らは手慣れた様子で、倉庫の壁に残った銅線や、まだ価値のありそうな金属片を剥ぎ取り始めている。


「おい、ここにはもう何もないって言っただろ」


一人の男が吐き捨てるように言った。その声には、明日をも知れぬ飢えと、文明の残滓を食いつぶすことへの倦怠が混じっていた。


「黙れ。ナジブの街へ行くには、もっと『供物』が必要なんだ。あの街に入るには、紙か、金属か、あるいは命を差し出すしかない」


リアムは物陰からその会話を盗み聞いた。「静寂の街」のナジブ。やはり、この荒野において彼は神に近い存在なのだ。アーサーが危惧する通り、ナジブは物理的な資源と、それ以上に「信頼」という、この世界で最も希少な通貨を独占している。


リアムは彼らと接触するリスクを避け、男たちが立ち去るのをじっと待った。


夜が来た。アーサーとの次の通信パスが始まる。


『リアム、状況はどうだ』


「略奪者がいたが、やり過ごした。明日にはナジブの勢力圏の境界に入る」


『順調だな。だが、警告しておく。ナジブは、お前が持っているノートの価値をすでに察知している可能性がある。我々の内部に、アナログな『漏洩者』がいるかもしれん』


「……漏洩者? このアナログな世界でか?」


『紙は燃やせば消えるが、人の口は塞げない。伝言(口コミ)こそが、今の世界で最も速いウイルスだ。……リアム、ナジブの街に入ったら、まず「自分の名前」を捨てろ。彼は、お前をCIAの工作員としてではなく、一人の『真実を運ぶ旅人』として迎え入れたがっている』


「俺に嘘をつけと言うのか。ナジブが最も嫌うことを」


『嘘ではない。再定義だ。お前が何者であるかは、お前がナジブに何を語るかによって決まる。……レオが、おやすみを言いたがっている。代わるよ』


『パパ! 騎士さんは、お姫様を助けるの?』


幼い息子の声が、砂漠の冷たい空気の中に響く。リアムは一瞬、自分がどこにいるのか、何をしようとしているのかを見失いそうになった。数百メートル下の快適な揺りかごにいる子供と、死体の腐臭が漂う倉庫の廃墟に立つ自分。


「……ああ、レオ。騎士さんは、お姫様じゃなくて、『真実』っていう名前の宝物を守ってるんだ」


『わあ、かっこいい! 頑張ってね!』


通信が切れた。リアムはレシーバーを外し、暗闇の中で深く息を吐いた。


アーサーは、リアムの人間味を、冷徹な計算の上に利用している。レオの声を聞かせることで、リアムに「帰るべき場所」を思い出させ、任務を完遂させる。だが、その帰るべき場所を守るために、リアムは今、ナジブという巨大な静寂に身を投じなければならない。


彼は馬のそばへ戻り、鞍を枕にして横たわった。


明日の朝、彼はハイウェイを外れ、砂丘の彼方にそびえるナジブの要塞へと向かう。そこでは、デジタルな監視も、アーサーの合理性も通用しない。


ただ、インクの匂いと、男の眼光だけが、世界の正しさを決める場所。


リアムは胸ポケットのノートを握りしめた。その紙の厚みだけが、今の彼にとって唯一の、確かな現実だった。

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