第66章 非対称戦の準備
台北市西門町のカフェの窓越しに、通りを行く軍用トラックの列が見えた。
荷台には、緑色のコンテナに覆われた細長い筒——「天弓」地対空ミサイルの発射機だと、隣の席の大学生が小声で説明していた。
観光で台湾に来ていた日本人の杉浦は、その言葉を聞いて背筋に冷たいものを感じた。
店内のテレビには、国防部の記者会見が中継されている。
「市民の皆様、非常食の備蓄を最低一週間分確保してください。避難所の場所は、市役所ホームページをご確認ください」
淡々とした女性報道官の声の後ろで、スクリーンには避難訓練の映像が流れる。制服姿の高校生たちが、防空壕へ駆け込む様子だ。
外に出ると、街頭スピーカーからも同じ案内が繰り返されていた。
交差点では、迷彩服を着た中年の男たちがバスから降ろされ、分隊長らしき男に指示を受けている。
杉浦はそれが、招集された退役軍人や予備役兵士だとすぐに気付いた。彼らはヘルメットと小銃を受け取り、地図を手に地下道へ消えていく。
観光客で賑わっていた淡水の桟橋にも、微妙な緊張感が漂っていた。
河口の向こうに見える埠頭では、迷彩ネットで覆われた物資集積所から、木箱が次々とボートへ積み込まれている。
「Stinger……」と、カメラを構えた欧米人旅行者が呟いた。
その筒状のケースが携帯型地対空ミサイルだと知っている者は、地元の漁師以外ほとんどいなかった。
桟橋の売店で、老婆が観光客にパイナップルケーキを渡しながら言った。
「来週には、こんな景色は見られなくなるかもしれないよ」
その笑顔は、冗談なのか本気なのか、判断がつかなかった。
沖合の防波堤には、迷彩服の若者たちが数人、双眼鏡で西の海を睨んでいた。
その背後には、沈みかける夕陽と、どこかで響く非常用サイレンの低い音が混じり合っていた。