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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第152章 第7章:消えた梨花と、残された「バトンの重さ」


 結婚式の準備というものは、人生において最も「効率」という言葉が無視される儀式かもしれません。

 招待状のデザイン、引き出物の選定、そして披露宴のメニュー。森宮さんは、これらを一つの巨大な「プロジェクト」として管理し、分厚いファイルを作成しました。そのファイルの見出しには、『野本・早瀬共同体移行計画書』と、まるで官公庁の書類のようなタイトルが踊っています。

「野本さん。この引き出物のカタログを見てほしい。バームクーヘンというのは、断面が年輪に見えることから長寿や繁栄を象徴する。しかし、糖質量と賞味期限のバランスを考えると、こちらの真空パックされた焼き菓子の方が、ゲストの健康寿命に寄与するのではないかと思うんだ」

「森宮さん。ゲストは健康寿命を延ばすために結婚式に来るわけではありません。一口食べた時の『あ、美味しい』という多幸感があれば、それで十分なのです」

 私は、茶色の新しい眼鏡を指で直しながら答えました。早瀬くんが選んでくれたこの眼鏡は、森宮さんの選んだ紺色のものよりも、世界が少しだけ「柔らかく」見えます。

「……多幸感、か。数値化できない指標は難しいね」

 森宮さんは溜息をつき、おむろに郵便受けから持ってきた一通の封筒を食卓に置きました。

 それは、差出人の名前がない、厚みのある封筒でした。宛名は森宮さんではなく、私――「野本(泉ヶ原)様」となっています。

「野本さん。さっき届いたんだが、これは僕が開封すべきではないと判断した。君の過去に関わる、非常に強い『重力』を感じる封筒だ」

 翌日、私はその封筒を未開封のまま「暇つぶしサークル」の部室へ持ち込みました。自分一人で開けるには、その封筒が放つ気配が、あまりにも梨花さんの香水の匂いに似ていたからです。

「あら。ついに『伏線回収』のフェーズに入ったわね」

 小宮部長が、いつものようにキャンバスに向かいながら、背中で言いました。

「野本・ザ・パンドラ。その封筒の中身は、あなたの人生という物語の最終章を書き換えるかもしれないわよ。橋本、どう思う?」

 橋本副部長が、ピンセット(なぜか用意していました)で封筒の端を挟み、光に透かしました。

「野本さん。郵便スタンプから推測するに、これは都内の病院に近い郵便局から出されている。そして、この重さは紙だけではない。何か、硬いプラスチックのようなもの……SDカードか、あるいは古い写真の束だ」

「病院……」

 私は、胸の奥に小さな灰汁が浮き上がるのを感じました。

「梨花さんは、いつも元気で、病気なんて言葉とは無縁の人でした。パチンコで負けても、家計が火の車になっても、彼女の肌はいつもツヤツヤしていて、私を振り回すだけの体力に溢れていました」

「野本、あんたさ……」

 部室のソファでポテトチップスを食べていた重子が、真面目な顔でこちらを見ました。

「強い人ほど、弱ってるところを人に見せないもんよ。特に、あんたみたいな『地味で繊細な子』の前じゃ、なおさらね」

「重子、たまにはいいこと言うわね」

 山田が隣で感心したように頷きました。

「開けるわよ」

 小宮部長が筆を置き、私の手から封筒を取りました。彼女は美大志望だった指先で、丁寧に、しかし容赦なく封を切りました。

 中から出てきたのは、数十枚の写真と、一通の手紙。そして、小さな銀色の鍵でした。

 写真はすべて、私が知らない場所で撮られたものでした。そこには、衰弱しているはずなのに、相変わらず派手な色のパジャマを着て、病院のベッドの上でVサインをする梨花さんの姿がありました。

 私は、小宮部長から手紙を受け取り、音読しました。

『野本(もうすぐ早瀬ね)へ。

 元気? カツサンドの油で胃もたれしてない?

 あなたがこの手紙を読んでいるということは、森宮さんがちゃんと任務を全うして、あなたを次の走者に引き渡そうとしている証拠ね。

 正直に言うわ。私は、あなたと一緒にブラジルへ行くことも、泉ヶ原さんの家で一生ピアノを聴き続けることもできた。でもね、私は「野本の未来」という重たいバトンを、一人で持ち続ける自信がなかったの。

 私は、体が少しばかり不自由になる運命だった。だから、私が壊れる前に、世界で一番頑丈で、理屈っぽくて、絶対にバトンを落とさない男――森宮さんに、あなたを託したの。

 これは、私の身勝手な「育児外注」よ。怒ってもいいわ。でもね、森宮さんの作ったポトフは、私のカツサンドよりずっと、あなたの血肉になったはず。

 追伸。その鍵は、泉ヶ原さんの家の近くにある貸し倉庫のもの。中には、あなたの実の父親である水戸さんから、ブラジルから届き続けていた「未開封の手紙」が全部入っているわ。私が隠していたの。理由は……会った時に話してあげる。

 会いに来なさい。でも、地味な眼鏡は禁止よ。』

 部室が、水を打ったように静まり返りました。

 橋本副部長が、計算機を置きました。

「……合理的だ。あまりにも合理的すぎて、感情が追いつかない。梨花さんは、自分の『生存確率』と、君の『幸福確率』を天秤にかけ、最も勝率の高い戦略を選んだんだ」

「違うわ、橋本」

 小宮部長が、キャンバスに真っ白な絵の具を一筋、力強く引きました。

「これは戦略じゃない。これは『演出』よ。自分が死にゆく姿を娘に見せず、ただ『自由な母親』として記憶の中に生き続ける。そして、最強の守護者(森宮さん)を配置して、自分は舞台袖に消える。これ以上の名演出があるかしら?」

 私は、梨花さんが隠していた写真の中の一枚を見つめました。

 そこには、病室の窓から、遠くの景色を眺める彼女の後ろ姿が写っていました。その背中は、私が知っているどの梨花さんよりも小さく、そして、どこか誇らしげでした。

「梨花さんは、私を『捨てた』のではありませんでした」

 私は、震える声を抑えながら言いました。

「彼女は、私を『生かす』ために、自分を切り離したのです。私というバトンを汚さないために、自分の病も、実の父からの手紙も、すべて自分が飲み込んで、私には『真っ白な未来』だけを渡そうとした……」

「野本さん。今すぐ行きなさい」

 亀山さんが、いつの間にか部室の入り口に立っていました。バイトの制服のまま、彼女は私の背中を強く押しました。

「女の嘘はね、暴かれた時が本当の『愛』の始まりなのよ。森宮さんには私が電話しておくわ。『今日の夕飯は病院食より豪華なものを持って、病院に集合だ』ってね」

 私は、銀色の鍵と手紙を握りしめ、部室を飛び出しました。

 新しい茶色の眼鏡が、夕日の光を反射してキラキラと輝いています。

 梨花さんが隠し続けた「空白の数年間」。その答えを、私はこれから受け取りに行かなければなりません。

 大学の校門を走り抜けながら、私は自分の鼓動が、今までで一番速く、そして力強く打っているのを感じました。

 バトンはまだ、誰の手にも渡りきってはいませんでした。梨花さんの手の中に残された、最後の「欠片」を回収するまで、私のリレーは終わらないのです。

(第7章・完)


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