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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第150章 第5章:ウェイトレス仲間、梨花の「嘘」を推測する


 私がアルバイトをしているファミレスは、平日の午後三時を過ぎると、嵐の前の静けさのような奇妙な弛緩しかんした空気が流れます。

 ドリンクバーのベタつきを拭き取りながら、私は自分の紺色の眼鏡越しに、客席の風景を眺めていました。そこには、終わりのないお喋りに興じる主婦グループや、期限の迫った課題に頭を抱える学生たちが、それぞれの「日常」を消費しています。

「ねえ、野本さん。さっきの話の続きなんだけど」

 ハンディをポケットにしまいながら、富山さんが低い声で話しかけてきました。

「その梨花さんっていうお母さん、結局、森宮さんにあなたを預けてから一度も連絡がないわけ? それって、普通に考えたら『蒸発』じゃない」

 横でシルバー(カトラリー)を補充していた亀山さんが、ガシャリと音を立てて鼻を鳴らしました。

「富山さん、あんたは若いからそう思うのよ。女がね、自分から家族を切り捨てて消える時っていうのは、それ相応の『逃げ場のない理由』があるものなの。ねえ、野本さん。その梨花さん、消える直前に何か変わった様子はなかったの?」

 私は、当時の記憶の断片を、レジのロール紙を交換するように丁寧に手繰り寄せました。

「梨花さんは、最後まで梨花さんでした。ただ……今思えば、彼女の放つ『派手さ』に、どこか無理な光沢感があったような気はします。まるで、もうすぐ切れる電球が、最期に一瞬だけ強く輝くような、そんな不自然な明るさです」

「それよ!」

 亀山さんがトングを振り上げました。

「女の勘っていうのはね、論理を飛び越えるの。いい、野本さん。梨花さんは森宮さんを選んだ時、もう自分の役目が終わることを予感していたんじゃないかしら。森宮さんって人は、あなたの話だと、石橋を叩いて壊すくらいの慎重派でしょ? そんな男にあなたを託したっていうのは、彼女が『自分がいなくなっても、この男なら絶対にバトンを落とさない』という確信があったからよ」

「確信、ですか」

「そう。女が別の男に子供を託して消えるのは、育児放棄じゃない。それは『高度なリスクヘッジ』よ」

 富山さんが怪訝な顔をしました。

「リスクヘッジって、亀山さん、言葉が物騒ですよ。でも野本さん、森宮さんはどう言ってるの? 梨花さんのこと、探したりしないわけ?」

 私は、昨夜の夕食の風景を思い出しました。

「森宮さんは、『梨花さんは今、自分に必要な自由を謳歌している最中だ。捜索願を出すのは、彼女のプライバシーに対する侵害であり、僕の人生設計におけるイレギュラーへの対応能力を疑われることになる』と、難しい顔でポテトサラダを捏ねていました」

「あはは! 相変わらず理屈っぽいお父さんね」

 富山さんが笑い、それから少し真面目な顔になりました。

「でも、寂しくないの? 急に一人になっちゃって」

「寂しい、という感情を定義するのは難しいですが……」

 私は眼鏡を指で直しました。

「私の家には、常に誰かの『配慮』が満ちています。水戸さんの時は自由が、泉ヶ原さんの時は静寂が、そして今は森宮さんの『徹底的な管理』があります。彼らという走者たちが全力で私を運んでくれている間、私は寂しさを感じる暇さえ与えられなかったのです。それはおそらく、梨花さんが書いた『完璧な脚本』の一部なのでしょう」

 亀山さんが、私の肩をポンと叩きました。

「野本さん、あんたは冷めてるようで、一番親たちのことを信じてるわね。でもね、梨花さんの『嘘』は、きっといつか、あんたの眼鏡の度数を変えるくらい大きな真実になって返ってくるわよ。女がつく嘘にはね、必ず血が通ってるものだから」

 その時、入店を知らせるチャイムが鳴りました。

 私は「いらっしゃいませ」と声を上げ、客席へと向かいました。

 亀山さんの言葉が、私の胸の中で小さな灰汁あくのように浮いては消えました。梨花さんは今、どこでどんな色を纏って生きているのか。あるいは、生きているのか。

 私は客から注文を受けながら、梨花さんが最後に残した、あの油の染みたカツサンドの包み紙を思い出していました。あの油の匂いは、間違いなく「生」の匂いでした。

 バイトが終わる頃、外はすっかり暗くなっていました。

 駐輪場で自転車に鍵をかけながら、私はふと夜空を見上げました。森宮さんの待つ家には、今日も計算され尽くした明かりが灯っているはずです。

「梨花さん」

 私は小さく呟いてみました。

 その名前を呼ぶ時、私の視界は一瞬だけ、現実の夜よりもずっと鮮やかな「嘘」に彩られるような気がしました。

 家路を急ぐ私の背後で、ファミレスの看板が煌々と輝いていました。

 人生という長いリレーの、まだ中間地点にも達していない私。でも、私の手の中には、確かに次の走者へと渡すべきバトンが、じんわりと体温を帯びて握られていました。

(第5章・完)


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