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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第143章 第9章:流浪の月、昇る


 野方署の取調室に漂っていた淀んだ空気は、類輝るいきが放った「真実」という名の電子の奔流によって、一瞬で吹き飛ばされた。壁に据え付けられた監視モニターには、現場の混乱が映し出されている。清沢きよさわが凍り付いたように立ち尽くし、捜査員たちが困惑して互いの顔を見合わせる。

「……あはは、あはははは!」

 スズキタメゴロウは、壊れた玩具のように椅子の上で体を折り曲げ、笑い転げていた。

「見たかい、類輝さん。あんたがボタンを押した瞬間、世界の『正義』がバグを起こした。みんなが信じていた綺麗な物語が、あんたのバラまいた泥にまみれて溶けていく。最高だ、これ以上のエンターテインメントはないよ!」

 類輝は、もはやスズキの笑い声に反応しなかった。彼はただ、手元のタブレットに映る更紗さらさふみの姿を、まるで遠い星の観測データを確認するように見つめていた。

 更紗は「デジタルタトゥー」という名の消えない傷を背負わされながらも、周囲の期待する「可哀想な被害者」であることを今、明確に拒絶したのだ。

「スズキ。君は言ったな。事実と真実、どちらを追いかけるのかと」

 類輝の声は、冷徹なほどに静かだった。

「世間が物語を消費するために用意した『型』から外れた真実は、社会の中では存在しないものとして抹殺されてしまう。 君はそれを楽しむために、私を揺さぶった。だが、真実が公になれば、もはや型そのものが成立しなくなる。……君の言う爆弾は、君自身の居場所さえも吹き飛ばしたのではないか?」

 スズキの笑いが止まった。彼は不気味なほど無表情になり、類輝を見据えた。

「……俺の居場所? そんなもん、最初からないよ。俺は風景の一部だ。透明人間だ。 誰からも無視され、誰からも愛されなかった男。でもね、あの子たちは違う。あの子たちは、暗闇の中で互いという『光』を見つけてしまった」

 雨に濡れる路地裏。東堂とうどうは、更紗と文の前に立ちはだかりながらも、その手から拳銃の重みは消えていた。

 清沢が拡声器を放り出し、怒り狂って類輝に電話をかけている姿が遠くに見える。類輝がリークした情報の威力は絶大だった。警察が「正義」として更紗を虐待の現場である伯母の家へ戻したという事実は、今やSNSを通じて日本中を激震させている。

「更紗……」

 東堂が呼びかけると、更紗は文の腕にそっと自分の腕を絡めた。それは依存ではなく、魂が一つに合致した者たちの、自然な動作だった。

「東堂さん、私たちはどこへも行きません。……いえ、どこへでも行きます」

 更紗の言葉には、迷いがなかった。

「世間が私たちを何と呼んでも、もう関係ありません。文が抱えている『秘密』も、私が受けてきた傷も、全部私たちだけのものです。誰にも渡さないし、誰にも説明しません」

 文は一言も発さなかったが、その透明感のある瞳は、更紗という存在を丸ごと受け入れていることを示していた。 彼はかつて、自分と同じように居場所のない孤独を抱えた更紗に、鏡のような共鳴を感じて部屋に入れた。 その純粋な「救済」が、今、十五年の時を経て完成しようとしていた。

「東堂さん、どいてください。……私たちは、流浪るろうの旅に出るんです」

 更紗の言葉と同時に、東堂はゆっくりと一歩横に退いた。組織の論理からも、警察官としての義務からも解き放たれた、一人の男としての決断だった。

「……行け。誰にも、見つかるな」

 二人は雨のカーテンの中へ消えていった。

 それは、一つの場所に定着することを諦め、社会というシステムの外側でしか真実を守れないという、切ない、しかし誇り高い選択だった。 タイトルの「流浪」という言葉に込められた意味は、社会的な死ではなく、自分たちの真実を貫くための「孤高の覚悟」であった。

 取調室。未來みきが、震える足で入ってきた。彼女は現場で、中瀬亮なかせ りょうが放った「善意という名の暴力」と、更紗がそれを選別し、捨て去る瞬間を目撃してきた。

「類輝さん……二人は、行ってしまいました」

 未來の声は涙で滲んでいた。

「あれで、よかったんでしょうか。更紗さんは、本当にあれで幸せになれるんでしょうか……」

 類輝は答えなかった。彼はタブレットの電源を切り、暗転した画面に映る自分の顔を眺めた。

「幸せかどうかを定義するのは、我々ではない。……スズキ。君はこの結末を予見していたのか?」

 スズキは再び椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。その顔には、一仕事を終えた職人のような、奇妙に晴れやかな表情が浮かんでいた。

「さあね。でも、月は太陽の光がなくても、そこにある。たとえ誰にも見えなくても、夜空を漂い続けるんだよ。……『私たちは、どこまでも自由だ』。あの子たちが最後に見せたあの顔が、俺のクイズの正解だよ」

 野方署の窓の外では、夜明けが近づいていた。雨は小降りになり、重たい雲の隙間から、青白い月の名残が微かに透けて見えた。

 それは、社会のルールからはみ出し、正義の枠外へ逃れた二人を祝福するかのように、冷たく、そして美しく輝いていた。


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