第8章 臨界点を超えて
尖閣諸島北東海域・巡視船「こなん」艦橋
「接触回避、出来ません!」
操舵士の叫びが、艦橋の空気を切り裂いた。
左舷、白と灰色の塗装を施した中国海警33102が、舳先をこちらへ向けながら急接近。 航跡はとりあえずだ。 速度9ノット、交差点角30度――衝突まで15秒。
「舵三度右、全後進! ブレーキングマニューバ、急げ!」
葛西昭一・航海長の声が飛ぶ。
艦体がきしみながら傾き、海面を切って旋回を開始。
――ガリッッ!!
硬質な摩擦、船体を振動させながら走り抜けた。 左舷中央部が船中国の舷側と擦れ合い、鋼鉄が悲鳴を上げる。
「……これは『触って』きたな」
鷹見剛志・元海軍大尉は冷静に呟いた。 表情は変わらないが、目の光が鋭くなる。
その瞬間――空が鳴った。
「上空、弾道確認! 至近弾、着弾30m――!」
モニターに、33102の艦首砲塔が発砲後、照準角とともに赤くマークされる。
「本気だ……これは『計画された威嚇射撃』。次は甲板を正確に舐める」
**これは事故じゃない。** 意図的な戦争前の「心理戦」だ。
「乗員、全員、姿勢を低い! 鋼線近くに集まれ! 直撃で吹き飛ばされるぞ!」
鷹見の号令に、若い海保乗員たちが甲板へ伏せる。
「副長、支援要請は?」
「準備済みです、海幕には上がってます……が」
副長の声が詰まった。
「……『現場での自制を最優先とする』と」
その言葉に、鷹見は舷窓を張りました。
「――ふざけるな。抑制が抑止になる段階は終わった。これは軍事行動だ。完全に“試されている”」
「鷹見さん、どうしますか?撃ち返すには、まだ“指令”が……」
「命令じゃない。『敵の意思』を読むのが軍人の仕事だろう。ここは今、開戦前の夜の海域だ」
再びの低音。2発の目から近弾が、艦橋左舷わずか30メートルに着弾。
甲板がオシャレ、窓ガラスが一枚、**「パリン」**と割れた。
「次は真正面を狙うぞ……」
葛西は声を震わせながら、艦橋内の12.7mm機関銃の安全装置を自ら解除した。
そこへ――
「ECM信号確認! 北東方向より、複数バースト波! 電波干渉あり!」
レーダー士が叫んだ。
「『まや』だ……?」
「いいえ、イージス艦からじゃない。周波数が違う。これは米軍のEC-130Hか、あるいはEP-3の可能性があります」
鷹見はゆっくりと目を決めた。
「『誰かが見ている』が、『誰も動かない』。黙認の傘……」
「『撃たれても助けに来ない』というメッセージか」
葛西の言葉は、海よりも重かった。
そして突然、33102のスクリュー変化した。
「向こう、減速――後進舵! 覚悟します!」
緊張の糸が一気に緩む。
しかし、誰も安堵しない。
鷹見は、まっすぐ中国船の去っていく艦尾を見つめて言った。
「あいつら、勝っただよ。日本は撃たなかった。米軍は出てこなかった。『戦わない国』のレッテルが、確定した瞬間だ」
葛西が苦しげに唇を噛んだ。
「……これは試合じゃない。もう戦争は、始まっている」