第182章 第5章:崩壊の序曲 —— 暇つぶしサークルにて
場所: 大学のサークル棟、「暇つぶしサークル」部室。
野本:(湿気った煎餅をかじりながら、ノートPCの画像を指差している)
「……深度三四二メートル。ノティール号は、あるべきはずの『怪物』を探しました。しかし、そこには虚無しかありませんでした。……部長、直径一三メートルの大穴です。巨人がスプーンで甲板を抉り取ったような穴です」
小宮部長:(編み物をしながら)
「抉り取られた穴……。不在の証明ね。ドーナツの穴がドーナツの存在を定義するように、その穴こそが巨砲の存在証明なのよ。シュルレアリスムだわ」
橋本副部長:(スマホから顔を上げず)
「ただ単に、ひっくり返って落ちただけだろ」
野本:
「その通りです、副部長。当時の戦艦の主砲は『ローラーパス』といって、巨大なベアリングの上に自重で乗っかっていただけなのです。……つまり、船がひっくり返ると、スポンと抜けます」
橋本副部長:
「スポンって。二七〇〇トンだろ? そんな軽い音じゃないだろ」
野本:
「では『ズドン』です。……想像してください。デコレーションケーキを箱ごとひっくり返した時、イチゴやサンタクロースが重力に従って蓋の方に落ちる現象。あれの超巨大版です」
小宮部長:
「野本さん、戦艦大和をケーキに例えるのはやめてちょうだい。甘すぎるわ。もっとこう、鉄と油の残酷な別れを感じさせて」
野本:
「……わかりました。では、旋回用のレールには、脱落時の凄まじい摩擦で深い溝が刻まれていました。それはまるで、別れ際に彼氏の服の袖を掴んで引きちぎってしまった時の、未練の爪痕のようです」
橋本副部長:
「それもなんか違う気がするけど、まあいいや」
場所: 大学の購買部前ベンチ。
野本:
「……そして、船体から三〇メートル離れた泥の中に、その『山』はありました。逆さまに突き刺さった第二主砲塔です」
山田:
「三〇メートルも飛んだのか。すげーな。二七〇〇トンって、象何頭分だよ」
野本:
「アフリカゾウの体重を六トンと仮定すると、四五〇頭分です。山田さん、四五〇頭の象が束になって泥にダイブした状態を想像してください」
山田:
「いや、絵面がカオスすぎるわ」
野本:
「主砲塔の裏側は無残な状態でした。給弾用の『バスケット』と呼ばれる円筒が引きちぎられ、油圧シリンダーは飴細工のようにねじ切れ、極太の配管はスパゲッティのように散乱していました」
重子:
「うわぁ……スパゲッティって言われると、急にお腹空いてきたかも」
野本:
「重子さん、これは破壊の現場検証です。食欲は抑えてください。……そのスパゲッティのような配管の隙間を、小さなカニが一匹、這い回っていたそうです」
重子:
「カニ! かわいい! そこだけ癒やしポイントだね」
野本:
「はい。殺戮のための鋼鉄の巨人と、深海の小さな生命。……このシュールな対比に、観察者の賢治さんも奇妙な感動を覚えました。まるで、満員電車で殺伐とした車内に、迷い込んだ蝶々を見つけた時のような」
山田:
「野本、お前の例えはいつも庶民的だな」
場所: ファミレス「ジョリーズ」。
亀山:
(伝票を整理しながら)
「やだわぁ、やっぱり重いものは落としちゃダメね。床に穴が開くわよ。ウチの旦那なんか、こないだ漬物石を足の上に落として大騒ぎだったんだから」
野本:
「亀山さん、大和の主砲塔は漬物石の数億倍のエネルギーで落下しました」
富山:
「数億倍って。比較対象がおかしいって
野本:
「裏返った砲塔からは、三本の長い砲身が泥に突き刺さっていました。……一八メートルの高さから落下した衝撃で、あの極太の砲身が曲がっていたそうです」
亀山:
「あらら、曲がっちゃったの。使い物にならないじゃない。粗大ゴミに出すのも大変そうねぇ」
野本:
「はい。回収業者は来ません。……破壊された断面は鋭利で、人間が挟まれば痕跡も残りません。配管やバルブが内臓のように露出していました」
富山:
「うわ、グロい話? ランチタイムにやめてよ」
野本:
「富山さん、これは機械の『死』です。……かつて四〇キロ先の敵を狙っていた兵器が、今は泥の中で沈黙を守っています。まるで、ピークタイムに故障して動かなくなったドリンクバーのディスペンサーのような、物悲しい静けさです」
亀山:
「あー、あれ困るのよねぇ。お客さんに『カルピスが出ない』って怒られるし」
富山:
「野本さんのその、何でもバイト先のトラブルに置き換える癖、直した方がいいよ」
野本:
「……次は艦橋、ブリッジに向かいます。そこにはさらなる『切断』が待っています。……野本と申します。名札が曲がっていたので直します」




