第180章 第4章:艦首の威容 —— 暇つぶしサークルにて
場所: 大学のサークル棟、「暇つぶしサークル」部室。
野本:(古びた折りたたみ椅子に座り、ノートPCの画面を凝視している)
「……深度三四五メートル。ノティール号は、巨大な鋼鉄の壁に沿って降下します。……部長、船体は右舷側に四五度傾いています。想像してください。私たちが普段使っているこの部室の床が、四五度傾いている状態を」
橋本副部長:(マンガ雑誌を読みながら)
「いやだよ。カップ麺の汁が全部こぼれるだろ」
小宮部長:(デッサン用木炭をいじりながら)
「四五度の傾斜……。キュビスム的な不安定さがあって悪くないわね。ピカソの『アビニヨンの娘たち』に通じる歪みを感じるわ」
野本:
「いえ、部長。これは物理的な横転です。……そして現れるのが『バルバス・バウ(球状艦首)』。巨大な球根のような突起です。流体力学の結晶です」
橋本副部長:
「球根? チューリップかよ」
野本:
「もっと巨大で硬質なものです。フランス人のパイロットは『鯨の頭』と評しました。……ここでマルクがレーザースケーラーを照射します。緑色のレーザーで、一〇センチ間隔の点を打ち込むのです」
橋本副部長:
「あー、あれな。スイカのサイズ測る時とかに便利そうなやつ」
野本:
「副部長、スイカにハイテク機器を使わないでください。……計測結果、直径五メートル。設計図通り。……七〇年の眠りを経ても、その形状は保たれていました。まるで、冷凍庫の奥から発掘された、いつ買ったか分からないが形だけは綺麗なアイスクリームのように」
小宮部長:
「野本さん、その例えだと一気に賞味期限切れ感が出るわね。もっと『永遠の造形美』みたいな表現はないの?」
場所: 大学の講義室、授業前の空き時間。
野本:
「……そして、メインイベントです。泥と錆に覆われた艦首の先端に、直径一メートルの円形レリーフが現れます」
山田:
「あ、それ知ってる。菊の紋章だろ? 戦艦についてるやつ」
野本:
「正解です、山田さん。十六八重表菊。……驚くべきことに、その紋章だけが黄金色に輝いていました。泥を被りながらも、金色の光を放っていたのです」
重子:
「えーっ、すごい! 七〇年も海の中にあったのに? 錆びないの?」
野本:
「はい。金はイオン化傾向が極めて小さく、酸化しません。……重子さん、これは私たち女子大生が、どんなに徹夜で肌が荒れようとも、瞳の輝きだけは失わないように努力する姿と重なります」
重子:
「うーん、それはちょっと違う気がするけど……でも綺麗だね。直径一メートルって、結構大きいよね」
山田:
「ちゃぶ台くらいのサイズあるもんな。それが純金メッキか……。いくらするんだろ」
野本:
「山田さん、すぐに換金しようとしないでください。……フランス人のアンリも『太陽が凍りついているようだ』と十字を切りました。……そこにあるのは、国家の威信と、沈黙した時間です
山田:
「野本、お前たまに真顔でカッコいいこと言うよな」
場所: ファミレス「ジョリーズ」。
亀山:
(シルバーの補充をしながら)
「へえ、金色の紋章ねぇ。いいわねぇ、金は。裏切らないから」
野本:
「亀山さん、その言い方は投資家のそれです」
亀山:
「だってあんた、私のこのネックレス見てよ。通販で『純金仕上げ』って言ってたのに、一週間でメッキ剥げて地金が見えてきたのよ? 戦艦のメッキはどうなってんのよ。クレーム入れられないじゃない」
野本:
「大和の紋章は厚みのある金メッキ、あるいは金箔押しと言われています。帝国の技術力と予算の差です」
富山:
「亀山さんの安物ネックレスと戦艦大和を比べないであげて」
野本:
「……さらにカメラは甲板を映します。そこは泥だらけで、木製の甲板はバクテリアとフナクイムシに食い尽くされていました」
亀山:
「フナクイムシ? やだ、シロアリみたいなもん? 木造住宅の大敵じゃないの。やっぱり湿気が多いとダメねぇ、海の中だし」
野本:
「はい。ヒノキの舞台も、七〇年水に浸ければ跡形もなくなります。……残っているのは鋼鉄の梁と、鎖を通す『フェアリーダー』の穴だけ。かつて水兵たちが走り回っていた場所は、今はマリンスノーが積もるだけの死の世界です」
富山:
「なんか急に寂しい話になったね」
野本:
「富山さん、閉店後のドリンクバー周辺の静けさに似ています。祭りのあと、兵どもが夢の跡……」
富山:
「野本さん、オーダー溜まってるからポエム詠んでないで働いて」
野本:
「はい。……野本と申します。Cセットのスープバーはあちらです」




