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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第164章 第4章:衛星の幻影


視点:アレクセイ・ヴォルコフ中佐

所属:ソビエト防空軍 宇宙防衛軍(VKO)

場所:モスクワ州南部 セルプホフ-15(Oko早期警戒衛星管制センター)

日時:1983年11月7日 15:05 Z(モスクワ時間 18:05)


地下壕の空気は、安物のタバコと焦げた回路の匂い、そして冷めきった紅茶の湿気で澱んでいた。

メインスクリーンには、世界地図が緑色のグリッドで描かれ、その上を「US」とタグ付けされた赤い領域が不気味に静まり返っている。

「衛星コスモス1382号、モルニヤ軌道(Molniya Orbit / 高緯度地域を長時間観測するために設計された、極めて楕円率の高い軌道。北半球の上空に長時間滞在できる)の頂点(Apogee)を通過。センサー較正よし」

部下の報告を聞き流しながら、ヴォルコフは目の前のコンソール「M-10(Okoシステムのメインフレーム)」の明滅するランプを見つめていた。

数時間前、KGBからのホットラインが鳴り響き、「西側がDEFCON 3に移行した」という情報がもたらされていた。その情報は、この閉鎖空間の酸素を吸い取り、代わりに純粋な恐怖を充填したようだった。

「中佐、衛星の視線角(Look Angle / 衛星から見た地球上の観測対象への角度)が太陽光の入射角と接近しています。背景ノイズが増大する可能性があります」

「了解した。フィルタリング・アルゴリズム(Filtering Algorithm / ノイズを除去し、真の信号のみを抽出する計算手順)を強化しろ。誤報は許されんぞ、特に今夜はな」

ヴォルコフがそう言い終えるか終えないかの瞬間だった。

バンカー内の空気が凍りついた。

ウゥゥゥゥゥ―――ン!

鼓膜を圧迫するような低周波のサイレンが鳴り響いた。

コンソールの最上部にある「START(発射)」の文字が、血のような赤色で点灯する。

「発射探知! 大陸間弾道ミサイル(ICBM)!」

オペレーターの悲鳴に近い報告。「発射源、アメリカ合衆国モンタナ州、マルムストローム空軍基地! ミニットマンIII(Minuteman III / 固体燃料式ICBM。即応性が高く、3発の核弾頭を搭載可能)と推定!」

メインスクリーン上の北米大陸の真ん中に、小さな赤い四角形が表示される。

ヴォルコフの心臓が早鐘を打つ。来たのか? 本当に?

「信頼度判定は?」ヴォルコフの声は、自分でも驚くほど冷静だった。


「最高レベル(Highest)! システムは『確実』と判定しています!」

ヴォルコフはコンソールの生データ(Raw Data)を呼び出した。衛星の赤外線望遠鏡が捉えた熱源シグネチャが表示される。固体ロケットモーターの強烈なプルーム(Plume / 排気炎)が、冷たい大気を引き裂いて上昇する際の赤外線放射。

だが、ヴォルコフの脳裏に「違和感」が走った。

「1発……だけか?」

「はい、単一目標です!」

おかしい。

ドクトリン(軍事教義)に従えば、先制攻撃とは敵の報復能力を完全に奪うために、数百発、いや数千発のミサイルを同時に叩き込む「飽和攻撃(Saturation Attack)」であるはずだ。

たった1発のミサイルで戦争を始める馬鹿がどこにいる?

「誤報だ」ヴォルコフは断言しようとした。

しかし、その瞬間、サイレンの音が一段階上がった。

ウゥゥゥゥゥ―――ン! ウゥゥゥゥゥ―――ン!

「第2波探知! ……2発目! 3発目! 4発目! ……5発目! 連続発射(Salvo)確認!」

スクリーン上に赤い点が増殖する。5発。

それでもまだ少ない。だが、「1発」という異常値ではなくなった。

「中佐! 手順通り報告を!」

背後から、政治将校(Zampolit / 党の利益を代表し、軍隊内の思想統制や監視を行う将校)のクロゴフ少佐が叫んだ。「DEFCON 3だぞ! 奴らは本気だ! 早く参謀本部に『ミサイル攻撃警報(Missile Attack Warning)』を送れ!」

「待て」ヴォルコフは画面を睨みつけた。「早まるな」

「何を言っている! 飛行時間は30分もないんだぞ! 今すぐ報告しなければ、ブレジネフ書記長(実際にはアンドロポフだが、この時期は病床にあり指揮系統が曖昧だった)が報復決断を下す時間がなくなる!」

クロゴフが通信パネルに手を伸ばす。その先には、参謀本部、そして核のフットボール(Nuclear Football / 核攻撃指令を発するための装置が入ったブリーフケース)を持つ最高指導者へ繋がる回線がある。

ヴォルコフは立ち上がり、クロゴフの手首を掴んだ。


「座れ、少佐」

「貴様、反逆する気か! 画面を見ろ! システムが『信頼度:最高』と言っているんだ!」

「システムは馬鹿だ」ヴォルコフは吐き捨てた。「よく見ろ。5発だぞ? アメリカがソビエト連邦を滅ぼすのに、たった5発のミサイルで攻撃を仕掛けると思うか? これは『自殺』だ」

「斬首攻撃(Decapitation Strike)かもしれないだろう! モスクワの指揮中枢だけを狙った……!」

「だとしても少なすぎる! それに、もし本当にミニットマンなら、第2段ロケットの点火による熱源の変化があるはずだ。だが、この熱源は……一定すぎる」

ヴォルコフはコンソールを操作し、可視光カメラの映像を確認しようとしたが、雲に遮られて何も見えない。

頼れるのは赤外線センサーと、彼自身の直感だけだ。

今の状況――

秋分に近い11月。太陽の位置。高高度の巻雲(Cirrus Clouds)。衛星の軌道角。

これらが一直線に並んだ時、雲に反射した太陽光が、大気を通過するミサイルの排気炎と極めて似た赤外線波長を持つことがあるのではないか?

「地上レーダー(Daryal-type Radar / 早期警戒用の超大型フェーズド・アレイ・レーダー)による捕捉は?」

「まだです! 水平線(Radar Horizon / 地球の丸みにより、電波が届く限界距離)を越えていません!」

「なら、待つんだ」

「待てない!」クロゴフがホルスターに手をかけた。「義務を果たさないなら、私がやる!」

クロゴフが赤い電話の受話器を取り上げた瞬間、乾いた金属音が響いた。

ヴォルコフがマカロフPM(9mm拳銃)を抜き、その銃口をクロゴフの眉間に向けていた。

「受話器を置け、イワン」

ヴォルコフの声は低く、震えていなかった。

「この電話一本で、世界が終わる。私の家族も、君の家族もだ。確証が得られるまで、誰にも電話はさせん」

「……狂ったか、アレクセイ」クロゴフの顔から血の気が引いていく。「後で銃殺刑になるぞ」

「世界が残っていればな」

バンカー内は死のような静寂に包まれた。響くのはサイレンの音と、オペレーターたちの荒い呼吸音だけ。

時間は永遠のように感じられた。


1分経過。

もし本物なら、今頃ミサイルは北極圏を超え、地上レーダーの探知範囲に入っているはずだ。

2分経過。

「……地上レーダー、反応なし」

オペレーターの声が震えている。「目標、消失(Lost)。……ゴーストです」

3分経過。

スクリーン上の赤い点滅が、一つ、また一つと消えていく。

システムが遅まきながら再計算を行い、ノイズをノイズとして認識し始めたのだ。

「判定修正」オペレーターが泣き出しそうな声で叫んだ。「太陽光の乱反射(Sun Glint)による誤探知(False Positive)。……ミサイル反応、ゼロ」

ヴォルコフはゆっくりと銃を下ろし、安全装置をかけた。

膝から力が抜け、椅子に崩れ落ちる。全身から脂汗が噴き出していた。

「……見たか、少佐」ヴォルコフは掠れた声で言った。「アメリカは攻撃してこなかった」

クロゴフは受話器を落とした。コードがぶら下がり、虚しく揺れている。

だが、ヴォルコフは知っていた。これは終わりではない。

この「誤報」の事実は記録される。

そして、上層部――特にKGBと強硬派の軍人たち――は、これをどう解釈するか?

「システムのエラー」として処理し、安堵するだろうか?

いや、違う。

彼らはこう考えるはずだ。

『アメリカの新兵器が、我々の早期警戒システムを欺瞞(Spoofing)したのだ』と。

あるいは、『今回は誤報だったが、次こそは本物だ。システムが信頼できない以上、わずかな兆候でも先制攻撃(Launch on Warning)に踏み切らねばならない』と。

ヴォルコフが救った平和は、あまりにも脆く、そして逆説的に、次の危機への引き金を引いてしまったのかもしれなかった。

「業務日誌に記録しろ」

ヴォルコフは震える手でタバコに火をつけた。

「『システム誤作動』とな」

紫煙の向こうで、メインスクリーンの「US」の文字が、嘲笑うかのように赤く輝き続けていた。

(第4章 完)


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