第19章 大砲の哲学──ポーランド:東辺境の覚悟と重装備の奔流
◆ 序:新寺子屋ホールに轟く「Krab」の砲声
講義二日目、新寺子屋の大講堂には、
昨日よりも重い空気が流れていた。
ホログラム天井に映し出されたのは、
曇天のポーランド東部の平原。
その中央に、巨大な自走榴弾砲 AHS Krab が姿を現す。
砲塔が旋回し、砲身が空に向けて持ち上がる。
——ドォンッ!!!
CGとは思えぬ重低音が講堂に響き渡り、
学生たちが思わず肩を跳ね上げる。
その瞬間、壇上に姿を現した漱石は、
まるで砲声と歩調を合わせるように口を開いた。
「諸君。
これが、ヨーロッパの東辺境が世界に向けて鳴らしている、
“覚悟の音”である。」
吾輩は、耳を折りたたんで震えている。
「覚悟というものは、時として騒々しいのだよ、猫君。」
漱石は吾輩の耳元でそう呟いた。
◆ 漱石講義①:「ポーランドはなぜ最初に砲を撃てたのか」
漱石は地図を指し示した。
「ポーランドは、ロシアの侵攻後、
ヨーロッパ諸国の中で 最速に近い速度 で
兵器提供を開始した国である。」
ホログラムが切り替わり、提供装備の一覧が表示される。
・T-72戦車多数
・AHS Krab自走榴弾砲
・旧ソ連規格の122mm・152mm砲弾
・MiG-29戦闘機の部品提供
・歩兵装備、弾薬、装甲車
漱石は静かに続ける。
「なぜポーランドは迷わなかったのか。
それは地図を見れば明らかである。」
地図に、ロシア・ベラルーシ・ウクライナとの国境線が赤く浮かぶ。
「この国は“欧州の盾”である。
そして盾とは、
自らが最も傷つきやすい位置にあるという証でもある。」
吾輩が小声でつぶやく。
「盾というのは、攻撃される役目ではないか。気の毒な国だな……」
漱石、「気の毒だからこそ、覚悟があるのだ」と返す。
◆ 迷亭が茶々を入れる:「Krabは蟹なのか?」
迷亭が勢いよく手を挙げた。
「先生、“クラブ”とは蟹のことでしょう?
つまりこれは“蟹砲”ですか?
横歩きでもするのですかな?」
学生たちがくすくすと笑う。
漱石は眉間に皺を寄せた。
「迷亭君。
Krab はポーランド語で蟹であるが、
この砲が横に歩くわけではない。
むしろ敵に向かって一直線に“意思”を向ける兵器だ。」
吾輩が首をかしげる。
「では、なぜ蟹と名付けたのであろうか?」
漱石は少し微笑み、
「蟹は硬い甲羅を持つ。
それはこの装備にふさわしい象徴だろう。」
迷亭、「ふむ、甲羅の哲学であるか!」
◆ 漱石講義②:「歴史的記憶は兵器を重くする」
漱石はスライドを切り替え、“20世紀のポーランド史”を投影した。
・1939年、ドイツとソ連に挟撃され消滅
・冷戦期、ワルシャワ条約機構の最前線
・ソ連の圧政
・2004年 EU加盟
・NATO東方拡大の要衝
「ポーランドは、
歴史上、幾度となく“飲み込まれる側”だった。
ゆえに彼らにとって安全保障は、
抽象的な理念ではない。
具体的な鉄と火薬の積み上げである。」
漱石が深く言葉を落とす。
「歴史的恐怖は、兵器提供の速度となって現れる。
これは欧州諸国の中でも最も明確な例だ。」
吾輩、「恐怖が速さになるとは、奇妙な話であるな」と呟く。
◆ 清の質問:「そんなに多くの武器を出して自国は大丈夫なの?」
後方から、清が遠慮がちに手を挙げる。
「ポーランドがそんなに武器を出してしまって、
自分たちの国は大丈夫なんでしょうか?
足りなくならないかと心配です。」
その素朴な問いに、学生たちの視線も集まった。
漱石は深く頷いた。
「清さん、その心配は実に正しい。
ポーランドには“援助疲れ”の兆候がある。
しかしそれでも、彼らは支援を続けるだろう。」
清:「なぜですか?」
「理由は簡単だ。
ウクライナが倒れたら、自分たちが次だからだ。」
講堂が静寂に包まれる。
「この国は、自国の未来を守るために、
現在の武器を差し出している。
その覚悟は他国より必然的に強くなる。」
◆ 漱石講義③:「45億ユーロの意味」
ホログラム中央に、巨大な数字が浮かぶ。
45 億ユーロ(軍事支援)
「2022年以降、
ポーランドが提供した軍事支援は計45億ユーロ以上とされる。
これは国の規模から考えれば、
ほとんど異常ともいえる多大な負担である。」
漱石は続ける。
「だがこれは“援助”ではない。
“自国の防衛線の前方移転”である。」
ホログラムに、
ポーランド・ウクライナ・ロシアの三国図が映る。
「ウクライナが戦っている限り、
ロシア軍はNATO領に触れることができぬ。
ポーランドにとって、
兵器提供は 国家存続戦略 なのだ。」
吾輩は尻尾を畳み、
「猫としても逃げ道は多い方がいい」とつぶやいた。
◆ 寒月の質問:「ポーランドには他に選択肢があったのか?」
寒月が静かに尋ねる。
「先生、ポーランドはもっと“穏当”な方法を
選ぶことはできたのでしょうか?」
漱石は首を振った。
「残念ながら、ポーランドに穏当な選択肢は少ない。
地政学とは——
その国が“選べない宿命”を背負わせるものである。」
ホログラムが北ヨーロッパ全体図へと切り替わる。
「フィンランド、バルト三国、ポーランド。
これらの国々は暴力の風下にあるからこそ、
風上へ砲を向けるしかない。」
漱石は言葉を強めた。
「そして欧州の中で、
最も覚悟を早く固めた国がポーランドだった。」
◆ 迷亭、危険な例え話を始める
迷亭が再び立ち上がった。
「地政学とは、つまり“家の隣に乱暴者が住んでいるようなもの”ですか?
ドアに鍵を二つ三つかけるのは当然として、
もし乱暴者が棒を持って睨んできたら、
こちらも棒を持つ必要がある……と?」
漱石は呆れつつも、
「例えが下品だが、
概ね間違ってはいない。」
吾輩が前足を挙げる。
「乱暴者は嫌いである。尻尾が膨らむ。」
◆ 漱石講義④:「国境を越えた砲兵思想」
漱石はホログラムにKrabの内部構造を映し出す。
「ポーランドが提供したKrabは、
単なる兵器ではない。
欧州砲兵思想の“結晶”である。」
スライドには、次の三点が映る。
① 精密射撃と迅速移動(Shoot & Scoot)
② NATO規格の弾薬供給
③ ドローン観測との連動
「これこそが、ポーランドが欧州に示した“兵器の哲学”だ。」
吾輩は首をかしげる。
「哲学とは、砲にもあるものなのか?」
漱石は迷わず答えた。
「あるとも。
砲は国家の思想が鉄となって形を得たものだからだ。」
◆ 最後の質疑:清の一言が講堂を静める
講義が終盤に差し掛かる頃、
清が再び手を挙げた。
「先生……
ポーランドは、怖くないのでしょうか?」
漱石はしばらく黙り、
その問いの重さを噛みしめるように天井を見上げた。
やがて、静かに答えた。
「怖いとも。
だが、
“怖いからこそ守る”という覚悟が、
この国を支えているのだ。」
ホール全体が沈黙に包まれる。
吾輩でさえ黙り込み、
長い尻尾を身体の下にしまい込んだ。
◆ 結語:ポーランドの砲声は、文明の狭間で鳴り響く
漱石は、砲撃音の残響がまだ耳に残る講堂を見渡した。
「諸君。
ポーランドのAHS Krabが轟かせる砲声は、
単にロシア軍に対して向けられたものではない。」
ホログラムに再び赤い国境線が浮かぶ。
「それは“欧州文明を守ろうとする意思”の音であり、
同時に“歴史の恐怖を忘れないための警鐘”でもある。」
そして、柔らかい声で続けた。
「大砲は暴力の象徴であるが、
そこに宿る覚悟は、時に文明の支柱ともなる。
その現実を、我々は直視せねばならぬ。」
吾輩がぽつりと呟く。
「覚悟とは……腹が減っても続けることであろうか。」
漱石、「それは貪欲であって覚悟ではない」とため息をついた。
学生たちが笑い、講堂の空気が少しだけ柔らいだ。




