第9章 物乞いか、外交か
学校から帰る途中、腹が減ったので団子屋へ寄った。
この団子屋は、遊廓の団子屋だとか何とか評判が悪いそうだが、腹に入れば団子は団子だ。俺は奥の座敷に陣取って、二皿七銭の団子を無造作に頬張っていた。餡の甘さが脳天に染みるが、世の中の空気はちっとも甘くない。
店に備え付けのテレビでは、相も変わらずゼレンスキーが何かを喚いている。
一年前は「助けてくれ」と泣きついているように見えたが、最近はどうも様子が違う。「戦車をよこせ」「戦闘機を回せ」と、まるで借金取りが居丈高に催促しているような剣幕だ。
「おや、坊っちゃん。ここにおいでしたか」
入り口の方で猫撫で声がしたと思ったら、野だいこ(吉川)だ。後ろには例によって赤シャツが、キザな足取りでついてくる。こいつらは金魚とフンみたいに離れたことがない。
「君も団子が好きですなあ。しかし、あの大統領も好きモノだ。見てごらんなさい、またおねだりですよ」
野だいこは、俺の前の席に座るなり、テレビを指差してせせら笑った。
「最初はヘルメット、次は大砲、今度は戦車だ。ドイツのレオパルトだか何だか知らんが、高級車みたいにねだりやがる。図々しいにも程がありますな。あれじゃあ『くれくれタコラ』です」
俺は食いかけの団子を飲み込んで、野だいこを睨みつけた。
「吉川、手前ぇは自分の家に強盗が入って、女房子供が刺されそうになっても、隣の家に『すいませんが、もし余っておりましたら、包丁をお貸し願えませんでしょうか』なんて丁寧にお伺いを立てるのか?」
「へえ?」
「生きるか死ぬかの瀬戸際だ。なりふり構わず『武器をよこせ』と怒鳴るのが当たり前だろうが。それを図々しいとは何事だ」
野だいこはへへと笑って頭を掻いたが、赤シャツが横から口を挟んだ。
「まあまあ、坊っちゃん。君の義侠心は立派だが、あれはそんな単純な話じゃありませんよ」
赤シャツは、琥珀のパイプを取り出して、勿体ぶった手つきで煙を吐いた。
「彼がやっているのは、高度な『サラミ戦術』というやつです」
「サラミ? 酒のつまみか」
「ええ、薄く切って食べる、あのサラミです。西側の国々は、ロシアを刺激して戦争に巻き込まれるのを恐れている。だから最初から『戦闘機をくれ』と言えば、ノーと断られる。そこで彼は、要求を薄くスライスするんです」
赤シャツは指を一本ずつ立てて説明し始めた。
「まずは携帯ミサイル。これは自衛用だからいいでしょう? 次に榴弾砲。これも防御のためだ。……そうやって既成事実を積み重ねて、西側の感覚を麻痺させる。気がつけば、最強の戦車まで出さざるを得なくなっている。彼は西側の『罪悪感』を人質に取って、じわじわと要求レベルを吊り上げているんですよ。見事な交渉術ですが、食えない男だ」
俺は癪に障った。
「理屈はどうあれ、丸腰で戦えって言う方が無理な話だ。西側の連中だって、自分たちが血を流さずにロシアを弱らせることができるんだから、安い買い物じゃねえか」
「おや、坊っちゃんにしては鋭い。確かに、これは冷徹なビジネスでもありますね」
その時、店の戸が乱暴に開いて、山嵐(堀田)がドカドカと入ってきた。
「おう、ここにいたか。おい婆さん、団子だ。俺にも二皿持ってこい」
山嵐は俺の隣に胡座をかくと、汗を拭いながら言った。
「見たか君! ゼレンスキーの野郎、広島に来やがったぞ」
時は二〇二三年五月。G7サミットとかいうお祭りが、広島で開かれていた。
俺は驚いて箸を止めた。
「広島へ? オンラインじゃなくてか?」
「ああ、フランスの飛行機に乗って、いきなり乗り込んできやがった。インドのモディだの、ブラジルの大統領だのも来ている場へ、迷彩服のまま殴り込みだ。大した度胸じゃねえか」
山嵐は団子を串ごと噛み切りながら、感心したように続けた。
「極東の島国まで来るなんて、よっぽどの根性がなきゃできん。あの男、最初は口先だけの芸人かと思ったが、どうしてなかなか、肝が座ってやがる」
野だいこが、すかさず茶々を入れる。
「そりゃあ必死でしょうよ。夏には『反転攻勢』とかいう大博打を打つんでしょう? その前に、世界中から金と武器を巻き上げなきゃならない。広島の原爆資料館に行ったのも、日本人の涙を誘うためのパフォーマンスですよ。計算高いこって」
俺はムッとして言った。
「計算だろうが何だろうが、原爆の恐ろしさを知って、その上で核で脅してくるプーチンに喧嘩を売ってるんだ。文句があるなら、お前が行ってプーチンを説教してこい」
赤シャツが薄笑いを浮かべてまとめる。
「まあ、広島訪問の主眼は、G7よりもグローバル・サウス……つまり、どっちつかずの新興国へのアプローチでしょう。インドやブラジルに『ロシアの味方をするな』と釘を刺しに来た。抜け目がない。彼はもう、ただの被害者ではなく、西側の兵器庫の鍵を握る、したたかな外交官に変貌したということです」
季節は夏に向かっていた。
世間では「ウクライナが西側の戦車を使って大反撃に出る」「これでロシア軍は壊滅だ」という勇ましい噂が飛び交っていた。
俺も山嵐も、単純だからその気になっていた。「いよいよ本懐を遂げる時が来たな」と、赤穂浪士の討ち入り前のような気分でいたのだ。
「いいか、喧嘩ってのは先手必勝だが、一度守りに回ってから盛り返すのは倍の力がいる。だが、今のウクライナには西側の最新兵器がある。こいつで一気にクリミアまで押し返せば、プーチンも音を上げるだろう」
俺が気炎を吐くと、山嵐も大きく頷いた。
「うむ。正義が勝つところを見せてもらいたいもんだ」
だが、赤シャツだけは、冷ややかな目で団子の残りを眺めていた。
「そう上手くいきますかねえ。ロシアは冬の間に、地雷原を三重にも四重にも敷き詰めて、『スロビキン・ライン』と呼ばれる鉄壁の防御陣地を作っています。そこへ突っ込むのは、裸でイバラの藪に飛び込むようなものだ」
「何だと? じゃあ、負けると言うのか」
「負けはしないでしょうが……期待されたような劇的な勝利もないでしょう。これからは、今までとは違う、陰惨な消耗戦になりますよ。武器をもらえばもらうほど、引くに引けなくなる。ゼレンスキーも、西側諸国もね」
赤シャツの予言は、いつも不吉で、そして癪に障るほどによく当たる。
団子の餡は甘かったが、飲み込んだ後の腹の中は、鉛を呑んだように重たかった。
武器は揃った。役者は揃った。だが、その先に待っていたのは、快哉を叫ぶような勝利ではなく、血で血を洗う泥沼の塹壕戦だったのだ。
そして、その泥沼の中で、英雄たちの間に亀裂が走り始めることになる。




