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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第3章 泥濘(ぬかるみ)と鉄の夢


吾輩は死して久しい。

かつて早稲田の南に猫と共に暮らしておった頃、文明というものは、あたかも蒸気機関車の如く、煤煙ばいえんを吐きながらも前へ前へと進むものだと信じられていた。人間は賢くなり、理性が野蛮を駆逐し、いずれ世界は話し合いと商売だけで回る「開化」の極みに達するであろうと。


だが、どうだ。霊界の窓から二十一世紀の半ば、二千二十五年なる今の世を見下ろせば、眼下に広がるのは進歩どころか、明治の昔に旅順りょじゅんで見たのと少しも変わらぬ、血と泥の景色ではないか。


「歴史は繰り返す」とは陳腐な言だが、繰り返すたびに道具だけが精巧になり、殺し合いのたちが悪くなっているのだから始末が悪い。東欧の黒土チェルノーゼムの上で演じられているこの大立ち回りは、現代文明という金メッキが剥げ落ち、その下から剥き出しの「鉄」と「エゴイズム」が顔を出した象徴と言える。

事の始まりは、三年と九ヶ月前に遡る。


北の大国、ロシアである。彼の国のあるじは、ピョートル大帝の如き夢を見たらしい。「隣のウクライナなぞ、腐った納屋のようなもの。一蹴りすれば崩れ落ちる」と。二千二十二年の二月、凍てつく大地に戦車を並べた時、世界中の誰もが、数日後にはキエフ(キーウ)の街角でロシア兵が凱歌をあげていると思った。これを彼らは「電撃戦」と呼んだが、何のことはない、強盗が白昼堂々と勝手口から押し入ろうとしただけの話だ。


ところが、納屋の住人は意外に頑固であった。

元コメディアンだという大統領は、逃げるどころか「我に必要なのは乗り物ではない、弾薬だ」と見得みえを切った。ここから筋書きが狂い始めた。西側の国々は、慌てて金庫を開け、古い鉄砲やらミサイルやらを送り込み、経済制裁という名の兵糧攻めを開始した。ルーブルは紙屑になると言われ、ロシアは干上がると予言された。


だが、三年が過ぎた今、どうなっているか。

ロシアは死ななかった。石油とガスという血液を、中国やインドという別の血管に流し込み、戦時経済という名のドーピングで肥え太り、昭和の亡霊の如き「肉弾戦」を続けている。


戦場の様相も、開戦当初の華々しい機動戦から、陰惨な消耗戦へと堕した。

二千二十三年の夏、ウクライナは西側の戦車を並べて反攻に出たが、ロシアが築いた「スロヴィキン・ライン」とかいう三重四重の塹壕ざんごうと地雷原に阻まれ、鉄の塊が無残に焼け焦げた。


結局、人間が最後に頼るのはハイテクではない。スコップで掘った穴と、泥まみれのブーツなのだ。バフムトとかいう名の街では、一軒の家、一区画の廃墟を奪い合うために、何万という若者が挽肉ひきにくにされたと聞く。二百三高地の惨劇を、彼らは百年経っても卒業できておらんらしい。

そこに、「技術」という名の悪魔が加担する。


空を見上げれば、鳥ではない。ドローンとかいう無人機が、蜂の群れの如く飛び交っておる。二千二十四年の戦場は、人間が人間を撃つのではない。遠く離れた安全な部屋で、若者が画面を見ながらコントローラーを操作し、AIなる人工知能が標的を選び、自爆して木端微塵にする。これを「ゲーム感覚」と言うなら、現代人は死そのものを娯楽にしてしまったのか。


高尚な騎士道精神など欠片もない。あるのは、効率化された殺戮さつりくのシステムだけである。

そして今、二千二十五年十一月。

季節は巡り、再び冬将軍が到来しようとしているが、戦線は膠着こうちゃくし、地図の上をインクの染みがじわりと動くだけになった。


ウクライナは、一時の賭けとしてロシア領のクルスクへ攻め込んだりもしたが、それも今や包囲され、じり貧の様相を呈している。頼みの綱であったアメリカという巨人は、どうだ。トランプという、これまたあくの強い商人が再び大統領の椅子に座り、「金のかかる戦争はもう御免だ」と店じまいを決め込もうとしている。


欧州の紳士諸君も、「支援疲れ」などと口にし始めた。自分の家の暖房費が上がることのほうが、遠くの友人が殺されることよりも切実な問題になる。これが人間の偽らざる本性だ。

「正義」だの「民主主義」だのと叫んでいた熱狂は去り、残ったのは冷え冷えとした計算だけである。


今、戦場を支配しているのは、英雄的な物語ではない。

「あと何人死ねば相手が音を上げるか」「あと幾ら積めば手打ちにできるか」という、陰湿なソロバン勘定だけだ。

かつて文明が進めば戦争はなくなると説いた学者連中は、この泥沼を見て何を思うか。人間は、どれほど知恵をつけても、結局は棒きれを持って殴り合う猿から、半歩も出ておらんのではないか。


そう、北の空で鳴っている雷鳴は、遠い国の出来事ではない。

あれは、我々が信じていた「文明」という名のもろい塔が、音を立てて崩れ落ちる響きなのである。



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