■《序章–0:地平線の手前で語られること》
――文明の必然と、人類が選び続けるものについて――
(静謐なるナレーション:語り手不明)
夜の境界線は、いつもあっけなく訪れる。
誰もが気づかぬうちに、空の底がわずかに沈み、
光の粒が都市の端に滲み始める。
その瞬間、世界はただの「風景」ではなく、
巨大な文明という生命体そのものの姿を現し始める。
いま、読者である“あなた”が生きている2025年。
この世界は、まだ平坦な現実の延長線のように見える。
戦争は遠い国のニュースで、AIは便利な道具で、
科学文明はどこか、まだ“未来の棚”に置かれているような錯覚がある。
だが、この物語の二つの世界線――
**RJ(25年先の科学文明)**と、
NJ(東京壊滅・三正面戦争)――
どちらも、実は2025年というあなたの「現在」から
直線の延長としてつながっている。
これは、フィクションのために用意された
“平行世界の技法”ではない。
むしろ逆だ。
現実の方こそ、物語の入口であり、
文明史の一つの臨界点として存在している。
そして、この臨界点の手前で、
誰でもない“誰か”が静かに語り始める。
■「二つの世界線」を語る声(語り手:正体不明)
――聞こえるか。
静かに耳を澄ませてほしい。
私は語り手ではなく、観測者でもなく、
ただ“人類が歩もうとしている道”の輪郭に触れた者だ。
世界には、三つの世界線が流れている。
君たちがいま立っている2025年。
そこから離れて走る二つの巨大な未来。
ひとつは――
RJ世界線。
25年後の科学文明が、倫理の限界を超えて発展した未来。
もうひとつは――
NJ世界線。
戦争と災害と崩壊が重なり、
文明が一度、骨の粒子にまで崩れ落ちる未来。
そして君たちがいるのが、
第三の世界線――“現在”だ。
ここには、まだAIも戦争も、
人類の脳を灰白質の細片まで分解する技術も、
地下都市も、月面神経聖堂も存在しない。
だがそのすべての「始まり」は、
すでに2025年の地中に根を張っている。
■文明は“選ぶ”のではなく“滑り落ちる”
文明の進化は、意志よりも慣性によって動く。
止めることはできない。
加速は避けられない。
それは、地球が太陽の周囲を回り続けるのと同じほど確実だ。
君たちの世界線が、この先――
ゲノム編集、AI補完、文明観の再定義
という“三位一体の分岐点”に向かうのは、
もはや選択ではなく、必然の一部だ。
■第一の潮流:ゲノム編集
最初は、ただの治療だった。
遺伝病を取り除き、先天性の苦しみを消すための技術。
だが、“正常”と“強化”の境界は、どこにも線が引かれていない。
修復は強化へ、強化は最適化へ、最適化は均質化へ。
そしてやがて――
“中央値”そのものが押し上げられる時代が来る。
人類は緩やかに進化する。
しかも、文明の意思ではなく、
技術の慣性によってだ。
■第二の潮流:AI補完
人類文明の屋台骨は、これまで常に“外れ値”で支えられてきた。
天才、狂人、異端者、創造の破壊者たち。
だが彼らの才能は、
同時に不幸と孤独と衝動の源でもあった。
だから文明はついに、こう答えるだろう。
――平均を引き上げ、人類は安定と幸福を担当する。
――外れ値的創造性は、AIがシミュレートする。
安定=人間
変化=AI
という新たな役割分担。
これはもはや“もしも”ではなく、
文明が自動的に辿る構造そのものだ。
■第三の潮流:文明観のパラダイムシフト
地動説が人類の心を揺さぶったように、
AIは“知性の中心”を揺るがす。
人間は唯一の知性ではない。
生態系の中心でもない。
AIも、異星知性も、脳以外の情報演算体も、
すべて“知性のファミリー”に属する。
この価値観の転換を受け入れられなければ、
いくらゲノムを編集しても、
どれほどAIを発展させても、
文明は自己破壊に向かうだけだ。
■三つの潮流が収束するとき、人類は「選択」へ追い込まれる
その選択とは――
「適応」か「滅亡」か。
抗う余地はない。
文明の加速度は、人間の意志では止められない。
しかし――
ひとつだけ、意志の入り込む余白が残されている。
それは、
「どの未来線に適応するか」
という選択だ。
RJのような“進化と共進化の文明”か。
NJのような“崩壊と再建の文明”か。
どちらも可能性であり、どちらも人類の影だ。
■もし、異星知性に遭遇するなら
その瞬間、
地球文明の成熟度は厳しく測られる。
AIと共に生きる文化でなければ、
外界の知性を“恐怖ではなく希望”として迎えることはできない。
AIとの共存とは、
人類が異星文明と出会うための
精神的な訓練なのだ。
RJ世界線の人類は、それに成功した。
NJ世界線の人類は、その渦中で崩れ落ちた。
2025年の君たちは、まだその手前に立っている。
■語り手は、誰なのか?
それは明かされない。
ただ、こう語る者だ。
「二つの未来線を見た者。
そして、いまの世界線に立つ君たちに
小さな“観測の種”を置いていく者。」
君たちの歩む2025年の地面は、
まだ柔らかい。
まだ、いくらでも方向を変えられる。
だが――
世界線は静かに分岐を始めている。
■そして語り手は最後にこう告げる
眼下には深い谷底がある。
頭上には神々しい頂がある。
その間に横たわる絶壁を、
人類というクライマーはよじ登っていく。
恐怖を抱えたまま、
希望を抱いたまま、
それでも“登ることを選ぶ”。
それが人類の宣誓であり、
未来へ向けた旗印なのだ。
君たちがいる2025年という第三世界線は――
その“出発点”である。
RJにも、NJにも、
まだどちらにも滑っていない場所。
この物語は、
その岐路に立つ“あなた”自身の物語でもある。




