第312章 第5章 — 大和、出撃
“華々しさのない”最後の航海のすべて —
■1 《1945年4月6日 午前11時前》
―「静かすぎる出撃」の始まり
南條が戦史ホールの灯りを落とす。
スクリーンには暗灰色の瀬戸内海。
大和の艦影が、ぼんやり霧に沈んでいる。
萌乃はその写真を見た瞬間、思わず呟いた。
「……え。
こんなに……静かに出ていくの……?」
越野が資料をめくりながら答えた。
「そうです。
大和の最後の出撃は、異様なほど静かでした。
軍艦旗掲揚も音楽演奏もなし。
岸壁からの歓声すらない。
完全に“極秘、かつ、死地へ向かう出撃”でした。」
浜田:「映画みたいな盛り上げシーンは一切ないってことかよ……」
雑賀:「むしろ“送ってはいけない出撃”だからね。
大和が出ると知れば、士気に悪影響が出る。」
南條がチョークで黒板に一行を書く。
“大和の出撃は、歓迎されない出撃だった。”
春子は息を呑んだ。
「……それはつまり、
この作戦に意味がなかった、ということですか?」
南條:「結論を先に言えば、
戦略的には無意味、戦術的には自殺、政治的には苦渋の決断。
だが“現場には現場の論理”があった。」
卑弥呼が静かに言う。
「時代に退路を塞がれた者たちは、
しばしば“意味より覚悟”で動くもの。」
■2 《作戦名:天一号作戦・菊水一号》
―“沖縄決戦のため”という建前の下
春子が資料を読み上げる。
「“大和及び第二艦隊は、
沖縄突入後、座礁・泊地化し、
浮き砲台として米艦隊に突撃すべし”」
萌乃:「え……
座礁……?」
雑賀:「そう。帰還を前提としていない。
完全な片道特攻任務。」
浜田:「うわ……
じゃあもう最初から“死ぬ前提”じゃん……」
南條が黒板に作戦図を描く。
・呉 → 四国沖 → 足摺岬沖 → 九州西方 → 針路転換 → 沖縄
(燃料は“片道分のみ”)
春子:「本当に“燃料が足りない”んですか?」
南條:「足りない。
というより、
“帰ってくる前提で配分されていない”。」
鵜川刑事が表情を曇らせる。
「捜査でもよくある……
“生還を考えない任務”は精神が持たんぞ。」
片桐:「指揮官だけの問題じゃない。
乗員3,000人の人生を背負ってるんだ。」
萌乃は震える声で言う。
「そんな作戦、命じる方も正気じゃない……」
卑弥呼:「正気と狂気の境界は、
“国家という巨大な器”の中では曖昧になるものよ。」
■3 《出撃直前:艦内の空気》
―「笑う者」「黙る者」「祈る者」
越野が日記を読み上げる。
「“明朝出撃。
この航海より生きて帰る見込みなし。
しかし艦は静かに、いつも通りに動いている。”」
萌乃:「……うぅ……」
春子:「緊張の中で“日常を装う”という心理ですね。
極限状態では、むしろ普通に振る舞うほうが楽なのです。」
浜田:「俺なら絶対ソワソワするけどな……」
雑賀:「大和の乗員の多くは、
“死を受け入れているのではなく、
考える暇がなかった”んだよ。」
片桐:「強迫的な任務感か……
刑事でもギリギリの現場は“考える前に動く”しかない。」
鵜川:「恐怖が来る前に身体を動かすやつだな。」
卑弥呼:「恐怖は思索から生まれる。
思索を奪われた者は、恐怖からも解放される。」
■4 《出撃:瀬戸内の静かな海》
―大和の“最初で最後の自由航行”
スクリーンに静かな瀬戸内海が映る。
南條:「大和は瀬戸内海を抜ける時、
“もっとも美しい航跡”を残したと言われている。
海は凪。陽光は白く、空は青い。」
萌乃:「そんな……
最後の航海なのに、こんなに穏やかなんて……」
春子:「まるで自然が……
何も知らないかのようですね。」
浜田:「海はいつも通り……
でも艦だけが死に向かってるんだよな……」
越野が静かに言う。
「“大和は瀬戸内海を出ると、
まるで生き物のようにゆっくりと加速した”
という証言があります。」
雑賀:「3,332名を乗せた“鉄の生物”。
最後の息づかいだ。」
卑弥呼:「自然界は、死にゆく巨獣にも静寂を与えるものよ。」
■5 《米軍はすべて把握していた》
―出撃直後から“完全監視下”
片桐が驚く。
「え、もうバレてたのか?」
南條:「バレていたどころではない。
“大和動向は出撃前から察知されていた”。
理由は——」
越野:「・暗号解読(米海軍OP-20-G)
・九州沿岸の電波傍受
・瀬戸内海の航空偵察
・呉の燃料移送量の増加
・通信の急増
これらが組み合わされて判断されています。」
雑賀:「つまり“出た瞬間アウト”だった。」
春子:「出撃はもはや“奇襲”ではなく、
ただの“発見されて沈められる過程”……。」
浜田:「始まる前から詰んでる……」
萌乃:「じゃあ……
大和は“監視されながら死地に向かった”の……?」
卑弥呼が目を細める。
「死にゆく者の足音は、
いつも世界に聞こえているもの。」
■6 《針路転換:九州西方海域へ》
―“帰還不能”が現実になる瞬間
南條が黒板にコースを描く。
「大和艦隊は、
午前5時56分、種子島沖で針路を南へ切る。
この瞬間、全員が理解した。」
雑賀:「“帰れない”とね。」
浜田:「針路ひとつで……
そんなの察するのか……?」
越野:「軍艦の針路は、“命令のメッセージ”です。
乗員は訓練の中で自然に読み取れる。」
春子:「環境の情報を身体化しているんですね。」
片桐:「刑事も長年やってると、
犯人の動きが感覚で読めるようになる。
それと同じだ。」
鵜川:「経験した身体だけがわかる“方向の意味”ってやつだな。」
萌乃は震える声で言った。
「みんな黙ったでしょうね……
誰も言わないけど……
“ああ、本当に終わるんだ”って……」
卑弥呼:「沈黙こそ、最大の言葉。」
■7 《米空母機動部隊、戦闘準備》
―米軍側の“動く描写”
南條は珍しく、米側視点のモノローグを挟んだ。
「米第58任務部隊。
艦載機パイロットはこの日、
“大和の撃沈”が自分たちの役目と知らされていた。」
越野:「パイロットの証言では、
“巨大戦艦を沈めることに興奮と恐怖を感じた”
と語られています。」
雑賀:「興奮と恐怖が同居するのか……」
春子:「“大物を仕留める”という狩猟本能でしょう。」
浜田:「でも、相手は人間3千人なんだぞ……」
片桐:「戦争は数字と目標になる。
そうしないと人間が保てないんだ。」
無機質な滑走甲板の映像。
整列する爆装機・雷撃機・戦闘機。
エンジンの重低音が響く。
卑弥呼:「焼けるような空気の中で、
世界は静かに巨獣の最期を書き始めていた。」
■8 《レーダー警報:午前10時20分》
―“上空の点”が、死の意味を持つ瞬間
南條が黒板に大きく書く。
“10:20 米偵察機接触”
萌乃:「……来た……」
春子:「偵察段階で既に“大和捕捉完了”ですね。」
雑賀:「この時点で、米艦載機隊は発進準備に入る。」
浜田:「まだ攻撃始まってないのに、心臓が痛い……」
片桐:「これが“死刑宣告された船”の状態か……」
鵜川:「止まらん。誰にも止められん。」
越野が追加する。
「当時の海図では、
“大和の周囲には味方空母機がまったくいない”。
完全に孤立です。」
萌乃:「孤独の海……
こんなに広い海なのに……」
卑弥呼:「世界のど真ん中で、
もっとも孤独になる瞬間がある。」
■9 《総括:出撃は“運命の加速”だった》
南條は黒板を見つめたまま、静かに語った。
「大和の出撃は
“戦史上もっとも悲痛な行動の一つ”と言われる。
しかしここまで見た通り、
その悲痛は“悲劇的な作戦”だからではない。」
彼は一人一人を見るように言った。
**“乗員が、誰一人騒がず、声を上げず、
ただ静かに死地へ向かった”
その事実こそが、
大和出撃の本質だ。**
雑賀:「大声も涙もない。
ただ静かな覚悟だけがあった。」
春子:「極限環境での日常が、覚悟を鈍らせることもあった……」
萌乃:「……苦しい……
でも、目をそらしちゃいけない……」
浜田は拳を握る。
「続き、知りたい。
どれだけ悲しくても。」
片桐:「逃げずに見るのは大事だな。
歴史を扱うなら特に。」
鵜川:「事実を知って、初めて意味が見える。」
卑弥呼が最後に言葉を落とす。
「巨獣の影は、
出撃の瞬間から、沈むために伸び始めるの。」
南條が次章のタイトルを書く。
**《第6章:大和、雷撃と爆撃の嵐へ
— 第一波〜第三波の“死の空域”を解剖する —》**




