第310章 第2章呉海軍工廠 ― 巨大戦艦は“こうして”隠されて造られた
■1 《呉湾の朝霧:南條のスライドが描く“建造の影”》
戦史ホールの照明が落ちる。
スクリーンには、薄い朝霧をまとった呉港の写真がゆっくりと浮かび上がった。
灰色の海面、山と海が近い地形。
その狭間に、巨大な影を孕むようにして建造ドックが口を開けている。
南條はスライドリモコンを軽く押しながら言う。
「ここが“世界最大の戦艦”が生まれた場所だ。
呉海軍工廠第一船渠。
だが——写真の通り、ここには“屋根”がある。」
萌乃がすぐに反応した。
「えっ、ドックに屋根?なんで?」
南條は口元だけで笑った。
「当然、隠すためだ。
昭和16年当時、あれほど巨大な船を建造しているなんて、
世界に知られてはならなかった。」
越野が手元の資料をめくりながら続ける。
「当時の軍令部通達:
“第一船渠上空の視認遮蔽を徹底すること”
これがすべてを物語っています。」
浜田が手を挙げる。
「もしかして……スパイとか偵察機対策?」
南條:「そう。
米英は日本の造艦能力を警戒していた。
“とんでもないモンスターを作っている可能性”を疑っていた。
だから呉は徹底的に覆った。」
スクリーンに次のスライド。
巨大ドックにかぶせられた、奇妙な骨組み。
萌乃:「なんか……倉庫みたい……?」
雑賀:「でも、あれを支えるだけで莫大な鉄材と工期が必要だよね。」
春子が冷静に解説する。
「つまり、建造物に“カモフラージュを建造するコスト”まで上乗せされているという……
現代のプロジェクト管理なら、即刻赤字案件ですね。」
片桐がぼそっと言う。
「隠蔽のための隠蔽……。
事件を隠そうとして、隠す作業のほうが目立つやつだ。」
鵜川:「わかる。“隠そうとする努力”は、だいたいバレる。」
南條は頷いた。
「だが、この隠蔽は成功した。
米側は大和級の存在と大きさを、開戦後もしばらく掴めなかった。」
卑弥呼が、うっすら笑みを浮かべる。
「“大きなものほど、影を大きくしない”と気づいたのね。」
■2 《南條:建造の基礎—巨大船体はこうして組み上がる》
スクリーンに切り替わるのは、
まだ骨しかない巨大船体の写真。
南條がゆっくり説明を始める。
「大和の船体は“縦肋骨構造”。
大型船舶に使われる一般的な骨組み方式だ。
ここに、縦方向の強度材が走り、
その上に無数の横骨材が張り付く。」
彼は空中に即席の船体断面を描くように指を動かした。
「大和級は、とにかく“縦方向の強度”を重視した。
なぜなら——」
雑賀:「重すぎるからだね。」
南條は笑いながら続ける。
「その通り。
総装甲重量は約2万トン。
船体にかかる“縦曲げモーメント”は、戦艦としても異常なレベルになる。」
萌乃がペンを止める。
「縦……なんだって?」
春子が横から助け舟を出す。
「“船が波の上に乗った時、真ん中が折れそうになる力”ですよ。」
萌乃:「ああ、なるほど……」
片桐:「つまり、“デカすぎて自重で折れかねない船”ということか。」
南條:「本当に折れかねない。
だから強度構造は常軌を逸している。」
スクリーンがズームインし、船体内部の巨大な梁の写真が映る。
浜田が思わず言う。
「てか……工場っていうより、ビル建ててるみたいだな。」
「実際、“浮かべるビル”だからな。」
雑賀が冷静に返す。
■3 《装甲を“構造材にしてしまう”という暴挙》
南條は次のスライドを出す。
黒い金属が層状に積み重なる、装甲板の写真だ。
「ここが大和の設計の特殊性。
装甲を“船体構造の一部”として使っている。」
春子が眉を上げた。
「それは……大胆というか、危険な気がしますが。」
雑賀:
「理屈はわかる。
船体を強くしつつ装甲も兼用できるなら、重量を節約できる。
でも問題は——」
南條:「その通り。“破壊時の一体化ダメージ”だ。
装甲がそのまま縦通材になっているので、
一度そこに大きな凹みや破断が起きると、
装甲も、骨組みも、同時に失われる。」
片桐:「事件現場でいうと……
“壁のように強固な金庫”だけど、
ヒビ一つ入れば家ごと崩れる建物みたいなものか。」
鵜川:「そりゃヤバいな。」
南條:「大和は実際、
坊ノ岬沖で“装甲帯下部の弱点”から浸水が進み、
致命的な傾斜を食らった。」
萌乃がぞくっとする。
「まだ第2章なのに……
すでに“死に場所”が見えてくるの、つらい……」
卑弥呼が静かに言う。
「誕生の瞬間から、死に至る道は描かれている。
すべての巨大物はそうよ。」
■4 《工廠の人々:技師、溶接工、リベット工、そして“鉄の匠”たち》
南條のスライドは、工廠の作業員の写真へ切り替わる。
海軍服でも軍帽でもない。
作業着に身を包んだ男たちの背中。
「これが“大和を作った人たち”だ。」
越野が資料から一節を読み上げる。
「“我々は、国家の威信を鋼鉄に込めている。
この船は、世界のどこにも負けぬ”」
春子が小さく呟く。
「現場の人たちの情熱は、本物ですね……。」
南條:「その通り。
A-140計画が“幻想”だとしても、
工廠の技師たちの努力は“現実”だ。
— さて、次は技術だ。」
スライドが切り替わる。
リベットの山。
溶接トーチの青い炎。
巨大な鋼板を吊り上げるクレーン。
「大和建造には、
溶接とリベットが混在して使われた。」
春子:「部分的に古い技術が残っている……?」
南條:「というより、“それしかできなかった”というのが実態に近い。
大和級の船体規模では、
当時の日本の溶接技術ではすべてを溶接できない。」
雑賀:「溶接は強いけど、欠陥があると壊れやすいからね。
品質管理ができていない時代は危険だ。」
浜田:「じゃあリベットって、結局“昔ながらの釘打ち”ってこと?」
春子:「もっと専門的な技術です。
数万回の打ち込みで巨大な船体を締め上げるんです。」
片桐:「つまり、地道な職人技の積み上げだな。」
南條:「その通り。」
卑弥呼:「巨大な神話は、無数の小さな手によって作られるものよ。」
■5 《1,100以上の水密区画—“生き延びるための迷宮”》
スライドに、艦内の断面図が映る。
萌乃:「ひゃ……まるで地下迷宮みたい……!」
南條はその図を指しながら言った。
「大和には 1,100以上の区画がある。
そのほとんどが“水密区画”だ。」
浜田:「そんなに?
なんで?」
南條:「理由は簡単。
巨大すぎて、一度浸水すると止まらなくなるからだ。」
雑賀:「つまり、どこか一つ壊れても全体が助かるように“細かく区切る”ってことだね。」
春子:「でも、それって内部移動が大変なのでは?」
南條:「その通り。
戦闘中、水密扉が閉まれば、
内部は乗員でも自由に移動できない“牢獄”に近い。」
片桐が言う。
「事件でもあるな……
“安全のため”が“閉じ込める”結果になる皮肉。」
萌乃が息を呑む。
「じゃあ、沈む時は……
その水密区画の中に……?」
誰も言葉を返さない。
ただ卑弥呼だけが、目を閉じて言った。
「迷宮は、人を守り、人を閉じ込め、人を呑み込む。
巨大な船とは、そういう存在。」
■6 《機関部:150,000馬力を生む“四つの心臓”》
スクリーンに巨大なタービンの写真が映る。
「大和の推進力は約150,000馬力。
4基の蒸気タービン、12基のボイラーが生み出している。」
浜田が感嘆する。
「15万馬力!?俺の原チャの……何倍?」
雑賀が計算して即答。
「お前の原付が7馬力として……
約2万倍だな。」
浜田:「化け物かよ!!」
片桐が冷静に返す。
「その“化け物”を動かすための燃料は?」
南條:「大量だ。
燃料不足の1944年以降、大和は“動けない巨人”になった。」
春子:「推進システムが優秀でも、燃料がなければ……」
卑弥呼:「心臓はあっても、血がなければ動けない。」
■7 《総括:大和の建造は“国家的総力の極致”だった》
南條はスライドを消し、講義室の中央に戻った。
「大和は確かに“戦略的誤り”を内包している。
だが、その建造過程は
当時の日本が持てる技術・資源・工匠精神の極致だった。」
越野が静かに付け加える。
「工廠の記録には、
“この艦を造るために、己の人生を費やした”
と書いた作業員もいます。」
萌乃が小さく呟く。
「この船は……“誇り”と“無茶”の両方で造られたんですね。」
雑賀:「だからこそ、構造と運命の分析が価値を持つ。」
春子:「設計の思想が、最期にどう現れるのか……」
片桐:「つまり、第3章からが本番だな。」
浜田:「来るぞ……“46センチ砲”!!」
北南都:「大和の“力”と“弱さ”が一番浮き彫りになる章ですね。」
卑弥呼だけが、静かに言葉を落とす。
「巨大な心臓、巨大な骨格、そして巨大な影。
そのすべては、後に巨大な音を立てて崩れるためにあったのかもしれない。」
南條は黒板に書いた。
《次章:第3章 46センチ砲と“大和の牙”》
「ここまでが第2章だ。
次は、大和という怪物の“武器”を解剖する。」




