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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第304章 第1章「無垢なる巨人(Innocent Giant)

配役キャスティングと役割】

雑賀さいが 壮平そうへい

• 役割: 海軍技術研究所・造船官(技術少佐)。

• スタンス: 大和の建造そのものに懐疑的。「大きいことは不便なだけだ」と断じつつ、構造力学的な美しさには興味を示す。常にタバコ(ハイライト)を吸い、思考の世界に逃避している。


東野園ひがしのその 萌乃もえの

• 役割: 海軍高官の令嬢であり、数学の天才。

• スタンス: 大和の排水量、燃費、弾道計算を一瞬で暗算する。「どうして大和は出撃しないの?」と純粋な疑問(残酷さ)を雑賀にぶつける。


真方まがた 卑弥呼ひみこ

• 役割: 大和の射撃指揮所(中枢)にインストールされた、極秘の弾道計算システムの「擬人化された概念」あるいは「設計に関わった幽閉された天才科学者」。

• スタンス: 大和の死(轟沈)を最初から予見し、その瞬間を「システムが完成する時」として待ち望んでいる神ごとき存在。


国沢くにさわ 春子はるこ

• 役割: 呉海軍工廠・工程管理官(あるいは女性ながら特例で乗艦する看護長)。

• スタンス: 鉄の女。スケジュールと規律の鬼。無表情で作業員や乗員を統率する。「邪魔よ、どいて」が口癖。


浜田はまだ 深尾ふかお

• 役割: 大和乗組員(主計科・少尉)。

• スタンス: 「ホテル大和」の食事や住環境を享受する凡人。萌乃に一目惚れし、彼女が視察に来るたびに空回りする。


きた 南都みなと

• 役割: 大和乗組員(航空隊・中尉)。

• スタンス: 零式観測機のパイロット。ロマンチストで「大和の美しさ」を熱弁するが、雑賀には「ただの鉄だ」と一蹴される。


鵜川うかわ 大作だいさく

• 役割: 憲兵隊・分隊長。

• スタンス: 機密保持のために目を光らせるが、実際は面倒くさがり。軍の上層部と現場の板挟みになっている現実主義者。


味沢あじさわ 節子せつこ

• 役割: 従軍記者(プロパガンダ担当)。

• スタンス: 雑賀の実妹。大和の「虚像」を国民に植え付ける記事を書くことに皮肉を感じている。


1

 昭和十二年、呉。

 空は鉛色で、湿度だけが異常に高かった。

 海から吹き付ける風には、錆と重油、そして焦燥の匂いが混じっている。人間が何か巨大な過ちを犯そうとしている時特有の、あの不愉快な空気だ。

 海軍技術研究所から派遣された造船官、**雑賀壮平さいが そうへい**技術少佐は、ドックのへりにある手すりに寄りかかり、眼下の光景を見下ろしていた。

 彼は胸ポケットから愛飲している紙巻タバコ(銘柄は「誉」だが、彼はそれを現代的なフィルタータバコのように頻繁に吸う)を取り出し、オイルライターで火をつけた。

 深く吸い込み、紫煙を吐き出す。煙は湿気を含んだ空気の中で、頼りなく拡散していく。

「先生、ここ禁煙ですよ。憲兵に見つかったら営倉行きです」

 背後から、情けない声がした。

 振り返ると、主計科少尉の**浜田深尾はまだ ふかお**が、おどおどとした様子で立っている。彼は新品の軍服に着られているような男だった。髪は無駄に整えられており、その軽薄さは、この鉄と油の現場には不釣り合いだった。

「浜田君」雑賀はタバコをくわえたまま言った。「質問があるんだが」

「はい? 何でしょう、先生」

「僕たちが作っている、この巨大な鉄の塊のことだ」

「はあ……四十六センチ砲搭載の、帝国海軍の切り札ですね」

「定義の問題だ」雑賀はドックの底を指差した。「あれは『船』なのか? それとも『移動する領土』なのか?」

 彼らの眼下には、人類がこれまでに建造したあらゆる構造物を凌駕する、とてつもない質量の物体が横たわっていた。

 戦艦大和。

 全長二六三メートル。その船体は、巨大な屋根によって隠蔽されている。機密保持のためにドック全体を棕櫚しゅろすだれで覆うなど、狂気の沙汰だ。隠すために、隠すべきものの十倍の労力を使っている。

「領土……ですか?」浜田は首を傾げた。「大きいことは良いことですよ。世界一なんですから」

「大きいことは不便なだけだ」

 雑賀は吸殻を携帯灰皿(自作の真鍮製だ)に押し込んだ。

「質量が増えれば慣性が増す。慣性が増せば制御に必要なエネルギーは指数関数的に増大する。この船は、動かすだけで国家予算レベルのカロリーを消費する。存在すること自体が、経済に対する攻撃だと言えるね」

「また先生の悪い癖が出た」浜田は笑った。「ロマンがないなあ。男なら、この巨砲に興奮するでしょう?」

「興奮? 誰が?」

「誰って……みんなですよ」

「僕は興奮しない。疲れるだけだ」

 雑賀は再びドックを見下ろした。

 無数の作業員が蟻のように張り付いている。リベットを打つ音、鋼板を切断する音が、不協和音となって響き渡っていた。

 それは建設というよりは、巨大な宗教儀式のようだった。

「それに、浜田君」雑賀は言った。「君は勘違いをしている」

「何をです?」

「あれは『眠れる獅子』なんかじゃない。あれは、生まれる前から死んでいる『棺桶』だ。僕たちは今、世界で一番豪華な墓標を作っているんだよ」

2

 その日の午後、雑賀の研究室(ドックの脇にある粗末なプレハブ小屋だ)のドアが、ノックもなしに開かれた。

「雑賀先生! いらっしゃいますか?」

 鈴を転がすような、場違いに明るい声。

 雑賀は図面から顔を上げずにため息をついた。

 入ってきたのは、海軍高官の令嬢であり、なぜかこの最高機密区画への立入りを許可されている数学の天才少女、**東野園萌乃ひがしのその もえの**だった。

 彼女はまだ十九歳。仕立ての良い洋装に身を包み、泥だらけの工廠の中を、まるで銀座のカフェを歩くように軽やかに進んでくる。

「やあ、東野園さん」雑賀は気のない声で言った。「ここは幼稚園じゃないんだけど」

「ひどいご挨拶ですね。父の名代で視察に来たんです」

 萌乃は雑賀の机の上に、勝手に高価そうな茶葉の缶を置いた。

「お土産です。イギリスから取り寄せた紅茶。越野(執事)に淹れさせようと思ったんですけど、憲兵さんがうるさくて外で待ってます」

「執事連れで軍事工場に来る人間は君くらいだ」

 萌乃は部屋の中を見回し、壁に貼られた大和の断面図に目を留めた。

 彼女の瞳が、一瞬で理知的な光を帯びる。

「ねえ、先生」

「何?」

「この船、排水量は六万四千トンって聞いてましたけど、計算が合いません」

「……ほう?」

「バルジの形状と喫水線から逆算すると、七万トンを超えます。それに、リベットの密度が異常です。通常の戦艦の三割増し。これじゃあ、船体が重すぎて、予備浮力が設計許容値を下回るんじゃないかしら?」

 雑賀は少しだけ目を見開いた。

 彼女の計算能力は、時に人間のそれを超える。彼女の頭の中には、最新鋭の歯車式計算機よりも高速なCPUが搭載されているらしい。

「君の計算は正しいよ」雑賀は認めた。「だが、公称値は六万四千トンだ。真実は常に、政治的な数字によって上書きされる」

「どうして嘘をつくの?」

「敵を欺くためじゃない。自分たちを安心させるためだ」

「ふーん」萌乃はつまらなそうに言った。「でも、綺麗ですね」

「何が?」

「この曲線。船首のバルバス・バウから艦底に流れるライン。まるで、女性の身体みたい」

 萌乃は図面を指先でなぞった。

 その時、部屋の隅にある影から、冷ややかな声が響いた。

「触らないで。脂がつくわ」

 萌乃が驚いて飛びのく。

 いつの間にか、部屋の入り口に一人の長身の女性が立っていた。

 呉海軍工廠の工程管理官、**国沢春子くにさわ はるこ**である。

 彼女は常に男物の作業服を着て、化粧っ気のない顔で現場を支配している。その無表情さと冷徹さから、工員たちには「鉄の女」と恐れられていた。

「あら、国沢さん」萌乃はすぐに立ち直り、ニコリと笑った。「ごきげんよう」

「東野園くん。ここは機密区画よ。子供の遊び場じゃない」

 国沢の声には、感情という不純物が一切含まれていない。

「雑賀少佐、設計変更の承認印が必要だわ。早くして」

「また変更か?」雑賀はタバコを灰皿に押し付けた。「今度はどこだ?」

「注排水システム。反応速度が遅すぎるというクレームが入ったの。あの・・・から」

 「あの方」。

 その言葉が出た瞬間、部屋の空気が一度いちど下がった気がした。

 雑賀は眼鏡の位置を直し、立ち上がった。

「わかった。すぐに行く」

「先生、私も行きます!」萌乃が手を挙げる。

「ダメよ」国沢が即答する。

「どうして? 雑賀先生が行くなら、私も行く権利があります。だって、私の方が先生より計算が速いもの」

 国沢は雑賀を見た。雑賀は肩をすくめる。

「連れて行こう。彼女をここで待たせておくと、勝手に機密書類を暗記してしまいそうだ」

3

 工廠の地下深く。

 そこは、騒音も粉塵もない、静謐な空間だった。

 分厚いコンクリートの壁に囲まれたその部屋は、戦艦大和の「頭脳」を設計するための特別室だ。

 部屋の中央には、開発中の九八式射撃盤アナログコンピュータが鎮座していた。無数の歯車とカムの塊。

 そして、その傍らに、一人の少女が座っていた。

 真っ白なワンピース。長く美しい黒髪。

 人形のように整った顔立ちは、十代のようにも見えるし、数百歳を経た老婆のようにも見えた。

 彼女こそが、この巨大戦艦の火器管制システムの中枢理論を構築した天才、**真方卑弥呼まがた ひみこ**博士だった。

「遅かったのね、雑賀先生」

 卑弥呼は、手元の計算尺から目を離さずに言った。その声は、ガラス細工のように透明で、硬質だった。

「君が呼び出したんだろう」雑賀は言った。「それに、外は雨が降り出しそうだ」

「雨? 気象データにそんな変数はなかったはずだけれど」

 卑弥呼はゆっくりと顔を上げ、雑賀の後ろにいる萌乃を見た。

「あら、珍しいお客様。……あなたが東野園萌乃さん?」

「初めまして」萌乃は少し緊張した面持ちで頭を下げた。「真方博士ですね。お噂はかねがね」

「噂? 私の存在はトップシークレットよ。存在しない人間について、どんな噂があるのかしら」

「『海軍には、未来から来た魔女がいる』って」

 卑弥呼は、クスリとも笑わなかった。

「魔女、か。悪くない定義ね。科学とは、凡人にとっての魔法と同義だから」

 卑弥呼は立ち上がり、射撃盤のハンドルに手を触れた。

「雑賀先生。このシステムの応答速度、0.5秒遅いの。これでは、超遠距離射撃において、地球の自転(コリオリの力)の補正が間に合わないわ」

「0.5秒だぞ」雑賀は呆れたように言った。「砲弾が飛翔している時間は一分以上ある。誤差の範囲だ」

「誤差?」

 卑弥呼の瞳が、氷点下の光を放った。

「宇宙に誤差なんてないわ。あるのは、計算不足だけ。私が欲しいのは完璧パーフェクトな『解』なの。敵艦に命中するかどうかはどうでもいい。私が計算した通りの座標に、物理法則通りに砲弾が到達すること。それが全て」

 彼女の思考は、戦争の勝敗などという俗世の次元にはない。

 彼女が見ているのは、数式という神の言語だけだ。

「でも、博士」萌乃が口を挟んだ。「そんなに完璧なシステムを作っても、使う人間が追いつけません。砲塔を回すのは人間ですよ?」

「ええ、そうね」卑弥呼は萌乃を見つめた。「だから、人間は不要なの」

「え?」

「最終的に、この船から人間ノイズを排除し、純粋な演算装置として稼働させる。それが私の『計画』。この巨大な船体は、ただのハードウェア。私が書き上げるソフトウェアのための、うつわに過ぎない」

 雑賀はタバコを取り出そうとして、ここが禁煙であることを思い出し、舌打ちをした。

 真方卑弥呼。彼女は確かに天才だ。だが、その知性はあまりに鋭すぎて、現実世界を切り裂いてしまう。

「それで」雑賀は尋ねた。「君はこの船が完成したら、どうするつもりだ?」

「完成?」

 卑弥呼は、人形のような首をかしげた。

「完成なんてしないわ。この船は、進水した瞬間に、時代遅れの遺物になる。航空機の時代が来ることは、私の計算では十年前に証明されているもの」

「じゃあ、どうして作るんですか?」萌乃が叫ぶように問う。「無駄じゃないですか!」

 卑弥呼は、聖母のような、あるいは死神のような微笑みを浮かべた。

「無駄だからこそ、美しいのよ。東野園さん。人類の歴史で、最も巨大で、最も高価で、そして最も無意味な徒花あだばな。それを咲かせるために、私たちはここにいる。……すべてがゼロになる、その瞬間のために」

 部屋の空気が凍りついたようだった。

 国沢春子が、無表情のまま時計を見た。

「時間よ。博士、投薬の時間です」

「ああ、そう。……退屈な肉体の維持ね」

 卑弥呼は興味を失ったように背を向けた。

「さようなら、雑賀先生。また、夢の中で会いましょう。7は孤独な数字(Lonely Seven)。あなたには、それがお似合いよ」

4

 昭和十五年八月八日。進水式。

 それは、奇妙なほど静かな式典だった。

 軍楽隊の演奏もない。万歳三唱もない。

 ただ、選ばれた少数の高官と、関係者だけが見守る中、巨大な鎖が切断された。

 ズズズ……という地響きと共に、巨体が滑り出す。

 六万四千トンの質量が、海面を圧迫する。

 通常の進水式ならば、ここでクス玉が割られ、鳩が飛び立つところだ。だが、ここには何もない。ただ、圧倒的な物理現象があるだけだった。

 雑賀は、少し離れた場所でそれを見ていた。

 隣には、憲兵隊の**鵜川大作うかわ だいさく**分隊長が立っている。ヤクザのような派手な柄のシャツを軍服の下に着込み、サングラスをかけている。

「へえ、こいつはすげえや」鵜川が言った。「海が溢れちまうんじゃねえか?」

「アルキメデスの原理だよ」雑賀は淡々と答えた。「押しのけた水の体積分の浮力を得る。それだけの話だ」

「先生はロマンがねえな。……しかし、こいつの名前、なんて言うんだ?」

「『大和』だ」

「大和? 日本そのものってか。重てえ名前だな」

 船体が海に浮かぶ。

 その姿は、確かに美しかった。機能美と言うにはあまりに装飾的で、芸術と言うにはあまりに暴力的。

 矛盾の塊。

「……浮いたわね」

 いつの間にか、萌乃が雑賀の反対側に立っていた。

 彼女の瞳には、不安の色が宿っていた。

「先生。私、怖い」

「何が?」

「あの船、泣いてるみたい。生まれてきてごめんなさい、って」

 雑賀は何も答えなかった。

 ただ、真方卑弥呼の言葉を思い出していた。

 ――すべてがゼロになる、その瞬間のために。

 世界最大の戦艦は、こうして産声を上げることなく、静寂の中でその生涯を始めた。

 それは、栄光への出航ではなく、長く緩やかな「死」への旅路の始まりだった。

「帰ろう」雑賀は言った。「コーヒーが飲みたい。泥水みたいに苦いやつをね」

 彼は背を向け、巨大な鉄塊に背を向けた。

 空からは、予報になかった雨が、ぽつりぽつりと落ち始めていた。

(第1章 完)


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