第303章 幕間:静寂への潜航(Diving into Silence)
シーン:ファミレス「ジョリー」・更衣室 → 自宅アパート
ランチタイムの激戦は、亀山提督の指揮のもと、無事に鎮圧された。
嵐のような客波が引いた後の店内は、嘘のように静まり返っている。
ロッカーの前で制服のリボンをほどきながら、野本はふと、亀山が最後に口にした言葉を反芻していた。
「相互確証破壊(MAD)……か」
鏡に映る自分の顔を見る。乱れた前髪を指で直す。
亀山家における冷戦は、破滅を避けるための均衡状態だった。双方が「生存」を選んだ結果の平和だ。
だが、歴史のデータベースを検索すれば、その均衡が成立する前段階——つまり、徹底的な「破壊」と「リセット」が選択された瞬間が存在する。
「お先に失礼しまーす!」
富山が元気よく更衣室を出て行った。彼女の明るさは、戦後の復興期のようなエネルギーに満ちている。
野本は私服に着替えると、愛用の分厚いノートパソコンを鞄から取り出した。
彼女には、ウェイトレスとは別の、もう一つの顔がある。
それは、歴史のifや軍事シミュレーションを物語として構築する、孤独な観測者としての顔だ。
(亀山さんの話は面白かった。だが、私の思考はさらに深く潜航する)
野本は帰路につきながら、脳内で新しいシナリオのパラメータを設定し始めた。
もし、あの1945年の夏を、「戦争」ではなく「システムのエラー処理」として捉え直したらどうなるか?
感情論(富山タイプ)と、生存本能(亀山タイプ)だけでは語れない、もっと冷徹で、非人間的な論理。
それを語るには、ふさわしい「配役」が必要だ。
アパートの自室に戻った野本は、遮光カーテンを閉め切り、エアコンの温度を最低まで下げた。
部屋の空気が冷えていく。ファミレスの熱気が嘘のように消え失せる。
「必要なのは、徹底した合理主義者。そして、それに反発する感情的な直観者。最後に、すべてを俯瞰する超越者」
キーボードに指を置く。
脳裏に浮かぶのは、古い国立大学の冷え切った研究室。
紫煙をくゆらせる偏屈な助教授と、計算高いお嬢様。
そして、モニターの奥で微笑む、神のごとき天才プログラマー。
彼らならば、あの焦土の意味を、残酷なまでに美しく解剖してくれるだろう。
野本は深く息を吸い込み、現実世界との接続を断った。
エンターキーを叩く音が、開戦の号砲のように静寂を切り裂く。
タイトルを入力する。
『すべてが灰になる』
さあ、登場人物を交代して、シミュレーションを開始しよう。
(ここから『第一章 焦土のアルゴリズム』へ続く)




