第298章 第15章:封印された真実(The Silent Aftermath)
『深淵の交戦規定』
【現代への証言:永遠のパトロール】
> (米国海軍歴史遺産コマンド アーカイブ責任者 サラ・ライアン・ウィリアムズの寄稿)
> 「祖父、マーカス・ライアンが亡くなった時、遺品の中に一本のオープンリール・テープがありました。
> ラベルには『1985-11-14 NOFORN(外国人閲覧禁止)』とだけ記されていました。
> 再生すると、そこには深海の轟音、悲鳴のようなきしみ音、そして……モールス信号のリズムが記録されていました。
> 私はそれをデジタル化し、国立公文書館へ寄贈しようとしましたが、ペンタゴンの担当官に止められました。
> 『このテープには、世界が滅びなかった理由が録音されている。だが、世界はまだそれを知る準備ができていない』と。
> 冷戦は終わりましたが、氷の下の真実は、まだ解凍されてはいけないのです」
>
2023年2月
ロシア連邦 セヴェロドヴィンスク
巨大な解体ドックの中で、最後の怪物が息絶えようとしていた。
Tk-208 "ドミトリー・ドンスコイ"。
かつて世界を恐怖させ、その後は新型ミサイル「ブラヴァー」の試験艦として生き延びたタイフーン級の1番艦。
就役から40年。ついに原子炉の火が落とされ、船体切断の時を迎えていた。
雪の舞うドックの片隅に、車椅子に乗った老人がいた。
ヴァシリー・コルサコフ元提督(85歳)。
彼の膝の上には、古びたジッポーライターが握られている。刻印は「USS Cheyenne」。かつてのライアンから贈られたものだ。
「……逝くのか、友よ」
コルサコフは、バーナーで切断されていく船体を見つめた。
火花が散るたびに、あの日の記憶が蘇る。
ソコロフの怒号。魚雷の接近音。そして、ライアンが自分を生かしてくれた「沈黙の決断」。
「提督、寒いですよ。戻りましょう」付き添いの孫娘がブランケットをかけ直す。
「あと少しだ」コルサコフは首を振った。「彼女(船)が死ぬところを、誰かが見届けてやらねばならん。ヴォルコフのようにな」
ニュースでは、ウクライナ情勢や、新たな超大国間の緊張が報じられている。
世界はまた、きな臭くなっている。
だが、この巨大な潜水艦が鉄屑になる今日だけは、一つの時代の終わりを意味していた。
2023年5月
米国 ヴァージニア州 アーリントン国立墓地
雨の降る中、葬儀が執り行われていた。
マーカス・ライアン退役中将。享年88歳。
参列者は少ない。海軍関係者と家族のみだ。
棺には星条旗がかけられ、儀仗兵が弔砲を放つ。
葬儀の後、ライアンの娘であるサラの元に、一人の男が歩み寄ってきた。
ロシア大使館の駐在武官だ。今の国際情勢では、場違いとも言える存在だった。
「……個人の資格で参りました」
武官は硬い英語で言い、小さな包みを差し出した。
「モスクワの友人からです。『彼との約束を果たした』と伝えてくれと」
サラが包みを開けると、そこには錆びついた鉄片が入っていた。
タイフーン級潜水艦の、耐圧殻の一部だ。
そして、一枚のカード。
『海は記憶する(The Sea Remembers)』
「父は……」サラは涙をこらえた。「父は最期まで、あの北極海の話をしませんでした。ただ、『誰かが止めなければならなかった』とだけ」
「その『誰か』のおかげで、私は今ここに立っています」
武官は敬礼し、雨の中へ去っていった。
【エピローグ:深淵からの警鐘】
202X年 北極海
米国 ヴァージニア級原子力潜水艦 USS South Dakota
「ソナー、コンタクト」
若いソナー員の報告が、最新鋭のデジタル・コントロールルームに響く。
「方位0-1-0。氷の下。所属不明機(Unidentified)。極めて静粛」
「中国の096型か? それともロシアのボレイ級か?」
艦長がモニターを睨む。
氷は年々薄くなっている。各国の潜水艦が、新たな航路と資源を求めて、再びこの過酷な海域に集結しつつある。
「交戦規定(ROE)を確認せよ」
「『専守防衛。ただし、敵対的兆候を確認した際は……』」
艦長は言葉を飲み込んだ。
モニターのウォーターフォール画面に、微かなノイズが流れる。
それは敵のスクリュー音ではない。
遠い昔に沈んだ残骸が、海流に揺られて出すきしみ音のようにも、あるいは先人たちからの警告のようにも聞こえた。
(ナレーション)
技術は進化した。
ソナーはAI化され、魚雷はより賢く、ミサイルはより速くなった。
だが、最終的な決断を下すのは、いつの時代も「人間」だ。
深海という極限の孤独の中で、恐怖と重圧に耐え、それでも理性を保ち続けることができるか。
「平和」という名の均衡は、政治家の握手によってではなく、名もなき艦長たちの、震える指先がトリガーから離れるその一瞬によって保たれているのである。
[画面暗転]
【最終データ:戦果報告】
* 作戦期間: 1985年11月12日 - 11月14日
* 交戦海域: バレンツ海 〜 グリーンランド海
* 損害:
* ソ連海軍:ヴィクターIII級原潜(沈没・総員死亡)、タイフーン級原潜(大破・生還)
* 米国海軍:P-3C哨戒機(中破)、USS Cheyenne(軽微な損傷)
* 戦略的結果: 第三次世界大戦の回避。事実は機密指定解除まで「永久凍結」。
(完)




