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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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3392/3600

第289章 第5章:音響の欺瞞(Acoustic Deception)

『深淵の交戦規定』


【軍事技術解説:MOSS(移動式潜水艦シミュレーター)】

> (米海軍水中兵器センター 開発主任 ロバート・ケインの解説)


> 「潜水艦戦における最大の防御は『誰か別のやつのふりをする』ことだ。

> 通常のデコイ(囮)は単なるノイズメーカーで、泡を出して敵魚雷のソナーを混乱させるだけだ。だが、Mk70 MOSSは違う。これは魚雷発射管から射出される小型の無人潜水艇だ。

> MOSSは、母艦と同じ周波数の音波を出し、特定の速度で走り、ソナー操作員さえも騙す『ドッペルゲンガー』を作り出す。敵がこの幻影を追いかけている間に、本物は静寂の中に消える。それが『音響の欺瞞』だ」



>

1985年11月13日 06:15(現地時間)

北極海・氷下

USS Cheyenne

深度: 500フィート(約152m) 速力: 3ノット(超微速)


「被害報告!」

ライアン艦長の声が、粉塵の舞う発令所に響く。

先ほどの魚雷爆発の衝撃波は、氷山を砕き、その破片と圧力の波が Cheyenne を激しく揺さぶっていた。

「機関室、配管からの漏洩なし。ですが、第2補機室のポンプ台座にクラック(亀裂)。振動音が出ています!」

「ソナー、復旧まであとどれくらいだ?」

「ブルーアウト(衝撃音による聴覚麻痺)から回復中……」ハルゼー兵曹長が呻く。「駄目です、艦長。ポンプの振動音が船体に響いて、まるでドラを叩いているようです。これでは隠れられません」


「ヴィクターは?」

「奴は生きています」ソナー員が絶望的な声を上げる。「爆発音の向こう側で、スクリュー音が確認できます。旋回して戻ってきます。……奴は、まだ我々が生きていることを知っている」

ライアンは唇を噛んだ。

相手は無傷のヴィクターIII。こちらは手負いで、しかも騒音を垂れ流している。次の魚雷が放たれれば、もう氷の壁を使った曲芸は通用しない。

「副長、海水のプロファイル(性質)はどうなっている?」


サリバン少佐がBathythermograph(水温記録計)のデータを読み上げる。

「最悪です。氷が溶けた冷たい淡水層が表層を覆っています。強力な『表面ダクト』現象が発生中。音が遠くまで届きすぎてしまいます」

「いや、使える」ライアンの目が光った。「表層のハロクライン(塩分躍層)を利用する。……兵雷長、2番発射管、MOSSモスを装填」

「MOSSですか? しかし、今の距離では見破られるのでは?」

「奴らは興奮している。獲物を仕留め損ねた猟犬は、動くものなら何にでも飛びつく」ライアンはコンソールに身を乗り出した。「いいか、プランはこうだ。MOSSを射出し、北へ走らせる。同時に我々は『ナックル(水流の渦)』を作り、その乱流の影に隠れて急速潜航。ハロクラインの下へ滑り込む」



1985年11月13日 06:25

ソ連海軍 攻撃型原潜 ヴィクターIII K-324


「爆発音の中に、金属的な破壊音(Break-up noise)は確認されず」

ソナー員の報告に、ヴォルコフ艦長は舌打ちをした。

「しぶとい奴らだ。氷を盾にしおったか」

「艦長、接触あり! 方位3-4-0。損傷したスクリュー音です。速度15ノットで北へ逃走中!」

「見つけたぞ、手負いの兎め」ヴォルコフは冷笑した。「パニックに陥って全速で逃げ出したか。馬鹿め、音を出せば死ぬのが潜水艦の掟だ」

「魚雷、装填完了」

「トドメだ。2番、3番発射管、連続発射(Salvo)。逃げ場をなくしてやる」

USS Cheyenne 発令所

「発射管2番、MOSS射出!」


圧縮空気の音と共に、10インチ径の囮魚雷が艦を離れた。MOSSは即座に音響再生装置を起動し、Cheyenne 特有のスクリュー音と、わざとらしい「損傷音」を撒き散らしながら北へ加速する。

「取舵一杯! 機関、一時的に全速!」

ライアンが叫ぶ。「ナックルを作れ! 音のカーテンだ!」

Cheyenne が急旋回し、巨大な水の渦が艦尾に発生する。この乱流は数分間、ソナーの音波を乱反射させる壁となる。

「よし、機関停止! 慣性で潜航せよ。深度800フィートへ! 塩分躍層レイヤーを突き破れ!」

巨大な原潜が、エンジンを切り、滑空するように深海へと沈んでいく。

頭上の浅い深度では、MOSSが派手な音を立てて泳ぎ去り、その背後に Cheyenne が作り出した乱流の雲が漂う。

本物の Cheyenne は、その騒ぎの下、冷たく重い深層水の中へ、石のように静かに沈んでいった。



【ドキュメンタリー:死の静寂】

(元兵雷士官 マーク・トンプソンのインタビュー)


「『リグ・フォー・ウルトラ・クワイエット(完全静粛状態)』。

あの瞬間、艦内では呼吸音さえも罪になった。空調も止め、照明も落とし、我々は暗闇の中で計器の光だけを見つめていた。

誰もが天井を見上げていたよ。頭上の数百メートル上を、ソ連の魚雷が通過していくのを想像してね。

MOSSが身代わりになってくれていると分かっていても、自分の命を小さな機械に預けるのは……たまらなく恐ろしい体験だ」



ソ連海軍 攻撃型原潜 ヴィクターIII K-324


「魚雷、目標を捕捉! 命中まであと15秒!」

ヴォルコフ艦長はストップウォッチを見つめる。

「終わりだ、アメリカ人」

ソナーから伝わる爆発音。

ドォォォォン!

水中を伝わる衝撃波がヴィクターIIIの船体を軽く叩いた。

「目標の騒音、消失! 命中を確認!」

歓声が上がる艦橋。ヴォルコフは満足げに頷いた。「北海艦隊司令部に打電せよ。『侵入者を排除した』とな」

しかし、ソナー員が怪訝な顔でモニターを覗き込んでいた。

「……艦長。変です」

「何がだ?」

「爆発後の……残骸の沈降音(Breaking up noises)が聞こえません。それに、爆発の規模が……小さい?」



USS Cheyenne ソナー室


頭上で炸裂した魚雷の音は、深深度に潜む Cheyenne には遠雷のように聞こえた。

デコイは見事に身代わりとなり、ヴィクターIIIの魚雷と共に消滅した。

「敵艦、速度を落としました」ハルゼーが囁くように報告する。「奴らは命中したと信じています。……あるいは、戸惑っています」

ライアン艦長は、暗い発令所で小さく息を吐いた。

「今のうちに離れるぞ。電気推進(補助モーター)のみ使用。3ノット。海底の谷間を這って、ヴィクターの探知圏外へ出る」

「タイフーンはどうしますか?」

「奴はこの騒ぎを聞いて、さらに深く、遠くへ逃げたはずだ。だが、行き先はわかっている」


ライアンは海図の北極点付近を指した。

「GIUKギャップへ向かうなら、これほど氷の奥へ入る必要はない。奴らは何か別の目的で北極点へ向かっている。……そこで決着をつける」

Cheyenne は幽霊のように、死んだふりをしたまま戦場を離脱した。

しかし、この静かな逃走の最中、艦内の通信室で受信された緊急暗号が、事態を新たなフェーズへと押し上げようとしていた。

「艦長、受信機(VLF)に極超長波通信が入りました。ワシントンからです」

通信士が手渡した紙片には、ただならぬ文字が並んでいた。

『DEFCON 2(デフコン・ツー)への移行準備。全軍、即応態勢へ』



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